次世代を生み出す婚姻制度 八木氏
対談・結婚には神聖な価値がある
渋谷“同性カップル条例”を考える(中)
麗澤大学教授 八木秀次氏/東京都議会議員 古賀俊昭氏
住民の意見聞かず条例成立 古賀
――渋谷区のパートナーシップ条例は「結婚に相当する関係」と言いながら、では、結婚とは何かについては触れない。
八木 結婚というのは当事者どうしの契約関係ではない。ほとんどの国で、次の世代を生み出す制度として捉えている。
人間関係にはいろいろな形がある。男女の関係でも恋愛関係もあれば、内縁関係もある。事実婚のようなものもある。同性の関係でも友人関係、職場の関係あるいは同性愛の愛情関係もあるだろう。
そういう中で、唯一男女の婚姻関係だけを特別に保護し、他の関係より優位性を持たせている。なぜならば、男女の婚姻関係において、子供が生まれるからだ。結局、婚姻関係を他の男女関係よりも特別に保護しているのは子供の福祉、心身ともに健やかな成長を考え、両親が簡単に別れられない仕組みを作っているということだ。
民法には夫婦の間に同居・協力・扶助義務がある。また、はっきりとは書いていないが、離婚事由の中に不貞行為がある。そこから守操義務がある。
税制でも配偶者控除、配偶者特別控除がある。企業でも配偶者手当を出すとか、そういう形で男女の婚姻を特別の制度としている。それは男女間の関係において子供が生まれるからであって、子供を育てていくための仕組みを構築している。
だが、同性愛の関係では子供は生まれない。先日テレビのバラエティー番組に出演していたレズビアンのカップルが、ゲイカップルから精子をもらって自分たちどちらかが妊娠する予定だという。
では、そこで生まれる子供はどう育ち、どう人格形成していくのか。日本ではまだ例はないようだが、子供の心理をおもんぱかると、そういったケースは避けるべきだと思う。
――渋谷区の条例では、「家族」ではないとして、アパートへの入居や病院での面会を断られるなど、同性カップルが不利益を被っているケースがあり、そうしたことへの対応として、パートナーシップ証明書を発行するとしている。都議会で同性愛者などに対する差別や人権侵害が問題となったことはあるか。
古賀 「府中青年の家」の利用を拒否したことがあって、それが裁判になったことがあった。そのほかは記憶にない。渋谷区の条例案の提出理由で言われた病院の面会拒否やアパート入居拒否は、産経新聞の報道によれば、なかったようだ。
八木 私は初めて聞いた時から作り話だと思った。たとえアパートへの入居拒否があったとしても、入居を家族以外も可能にするとか、病院の面会を家族以外にも広げるとかすれば解決できる話だ。
このような小さな問題を取り上げて、男女間の婚姻と同等に扱ってくれと言われてもそこには距離がある。
古賀 それから、区民の意見も聞かなかったことも重大な問題だ。通常、都でも審議会が答申を出す場合、必ず住民の意見を聞く。パブリックコメント(住民意識調査)をやって、そこに寄せられた意見を参考にしながら、仕上げていくわけだ。
当該条例は、多くの微妙な問題を含む。ましてや憲法との関係もありながら、区民の意見をまったく聞かずに議会提案して、一気に審議して可決するというのは手続きとしては考えられない。特に今日、住民の意向を尊重しようという大きな政治的な土壌が育ちつつある時に、それを全くやらずに短兵急にやったというのは驚きだ。
八木 多くの人が同性愛者だけの問題と思っている。そうではない。条例を読むと、「区民は」とか「事業者は」とかやたら出てくる。区民とは、渋谷区に住民登録している人だけではなく、通勤・通学・活動する人を含む。
同性愛“平等”に扱う教育に 八木
背景に価値・家庭崩壊の思想 古賀
教育関係の条項もある。渋谷区内の学校では、同性愛者に対する偏見をなくすどころか、異性愛、同性愛、両性愛、無性愛などを価値として平等に扱う教育をこれから推進していくということになる。
そうなると全員に関わってくる問題。事業所は、この条例を尊重しなければならない。例えば、同性愛者に対しても配偶者手当を支給するとか。
あるいは、宗教関係でも同性愛に対して教義上否定的なカトリックや神道の施設で、同性カップルが結婚式を挙げさせろと迫ってくる可能性がある。つまり、広く一般の人たちが巻き込まれる内容の条例ということだ。
――先ほど、八木教授が指摘した民法の設ける婚姻障害には近親者もある。
八木 それも婚姻障害だ。近親婚、しかも血が繋がってない関係でも禁止している。これは道徳としかいえない。
――そうした性道徳が同性婚を認めることによって崩れてしまう。
八木 そうだろう。山本直英氏(「“人間と性”教育研究協議会」の創設者でフリーセックス論者、平成12年没)の著書によれば、当事者の合意があれば親子でも師弟関係でも、誰とでもセックスしていいとなる。彼は「セクシャルコミューン」という用語を使っていたが、それが彼の言う理想社会だと。
古賀 まさに「性の自己決定権」だ。山本氏はこれこそが先進的で、自立した人間像だと言っている。他人からああだ、こうだと言われる必要はなく、社会的拘束や規範に縛られる必要も全くないのだと。そんなことを、彼は自分の学校で教えていたのだ。
――同性婚を認めることは、性倫理破壊の思想にお墨付きを与えることになるだろう。古賀都議は過激な性教育の是正に努力してこられたが、これでは教育は成り立たなくなるのではないか。
八木 そうだ。話は同性婚にとどまらなくなる。
古賀 私はこれまで過激な性教育の是正、正常化に取り組んできたが、過激な性教育の背景には、一夫一婦制は私有財産を守るための制度であって、そこで搾取が行われているから、これを解体しなければならないという革命思想があると思う。
今、銃口で革命政権をつくることは難しい。そこで、思想運動によって、それをなそうとしている。家庭と宗教が革命の邪魔をしているのだから、これを崩壊させようというのだ。私はこれを「白い共産主義」と呼んでいる。決して赤くないが、れっきとした共産主義だ。
その一環として、人間のもっている性についての感覚を麻痺させようというのが過激な性教育だろう。だから、子供たちに動物実験のようなことをやらせた。
過激な性教育に家庭破壊の思想が潜んでいることを、保守主義者は気付かなければいけない。性教育は必要だとは思うが、子供の発達段階も成長も無視して、性器の名称を歌で教えたり、男性性器、女性性器の付いた人形で挿入するところまで見せたりするのは明らかに間違いだ。そこに思想的背景があるということを私たちは見抜かなければならないと思う。
今般の同性婚も同根だろう。学校では、快楽の性があるとか、生殖の性があるとか、教えているが、しかし結婚というものには一つの神聖な価値があって、昔はコウノトリが運んできたとか言って、子供の誕生を夢いっぱいに教えたものだ。もっと夢のある形での性教育が行われるべきだと思う。
――条例によってお墨付きを得れば、同性愛の関係も一つの“愛のかたち”として学校で教えることになっていく。
八木 過激な性教育が盛んだったころ、その教育を推し進めるための教材が作られていたように、人の性的指向にはいろいろあり、男女の関係はその中の一つでしかありません、性的マイノリティーに対して違和感を持ってはいけませんとか、そういう内容を教えるための教材がつくられるはずだ。