結婚には神聖な価値がある
対談・結婚には神聖な価値がある
渋谷“同性カップル条例”を考える(上)
麗澤大学教授 八木秀次氏/東京都議会議員 古賀俊昭氏
「同性婚」を合法化する国が増える中、東京都渋谷区の「パートナーシップ条例」が4月に施行した。それがきっかけとなって、日本でも同性カップルの結婚の制度化を求める動きも表面化してきた。もし同性婚が合法化されれば、社会にどのような影響を及ぼすのか。麗澤大学教授の八木秀次氏と、東京都議会議員の古賀俊昭氏に、パートナーシップ条例や同性婚の問題点、また結婚の価値を伝えることの意義について語り合ってもらった。
(司会=編集委員・森田清策)
配慮と制度化は次元が違う 八木
反対者に「人権侵害」の烙印 古賀

八木 秀次(やぎ ひでつぐ) 昭和37年、広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業、同大学院政治学研究科博士後期課程中退。平成14年、正論新風賞受賞。慶應義塾大学講師、高崎経済大学教授などを歴任。現在麗澤大学教授、日本教育再生機構理事長、フジテレビジョン番組審議委員、教育再生実行会議委員、法制審議会民法(相続関係)部会委員など。著書に、『憲法改正がなぜ必要か』『「人権派弁護士」の常識の非常識』『公教育再生』『日本国憲法とは何か』ほか多数。
──性的少数者455人が今年7月、「法の下の平等」を掲げ、同性婚ができなければ人権侵害だとして、日弁連に救済を申し立てた。パートナーシップ条例が4月に施行した東京都渋谷区は近く、同性カップルに証明書を発行する。一連の動きをどうみるか。
八木 米連邦最高裁の判決の後追いとなっている。米連邦最高裁の判決は、合衆国憲法修正14条1項の「法の平等な保護」を使った。つまり「同性婚」と「異性婚」を平等に扱わなければならないというのだ。日弁連への救済申し立ての論理もこれで、米国の判決が相当後押しをしている。
渋谷区が発行したパートナーシップ証明書を持った同性カップルがほかの自治体に引っ越した場合はどうなるのか。「なぜ認めないのか」と主張するはずだ。そうすれば、同性カップルへの証明書発行が一気に広がる可能性がある。(同性婚推進派は)おそらくそういう運動展開を考えているだろう。
古賀 それに反対すると「封建主義者」「人権侵害」の烙印(らくいん)を押されてしまう。従って、政治家は票にならないから、黙っている。
八木 人権尊重あるいは多様性を認めるという美辞麗句の下に、同性婚を広めていこうというのだが、結論を言えば、同性婚と異性婚を区別することは「合理的差別」に当たる。これはわが国の最高裁で確立した考え方で「合理的な根拠のある差別については許容する」というもの。
たとえば、参政権については、国民と外国人は違う。これと同じように男女の婚姻関係とその他の人間関係は違う。婚姻関係に優位性を持たせているのは合理的根拠のある差別である。同性愛者に配慮することと、同性婚を認めることは次元の違う問題だ。
同性愛者が存在するということ、またそのカップルが存在することは事実だ。また、その人たちに対する一定の配慮は必要だということもほとんどの人は異論がないだろう。
だが、そのことと結婚もしくは「結婚に相当する関係」とすることとの間にはずいぶん距離がある。ここを多くの人が間違える。保守派の中にも、推進派から「人権侵害」と言われると、何も言えなくなって黙認したり、反対の声を上げづらかったりというところがある。
民法は結婚に「生物学的な障害」 八木
結婚の定義崩れ一夫多妻容認へ 古賀
古賀 人権や多様性は大切だからと言って、無原則にそれを認めるということではない。例外を一般化することがあってはならない。あくまで大原則は守る。人権侵害があれば、個別に対応するという考え方でいいと思う。
同性婚合法化の流れは例外を一般化するものだ。世界日報でも触れていたが、結婚の定義が崩れてくれば、一夫多妻も認められるようになるのではないか。
八木 その通りだろう。米連邦最高裁の長官がそう発言した。法の平等な保護ということを言い始めたら、どうしてカップルの関係だけが保護の対象なのだとなる。一夫多妻も認めろとか、際限なく出てくる。だから、そこは差別することに合理的根拠をもたせているのだ。
制度としての優位性を、男女の婚姻に与えているということをしっかり理解することが必要だ。性的指向と、制度としてその人たちの関係を婚姻制度の中に入れ込むこととは、全く話が違う。ここをはっきりさせなければならない。
人によっては「同性愛者はけしからん」というが、性的指向は生まれながらのもので、そのような子供はどの家庭にも生まれてくる可能性がある。それを全面否定してはいけない。だから、配慮は必要。しかし、そのことと新しく制度化することとは話が違う。

古賀 俊昭(こが としあき) 昭和22年、熊本県生まれ。同46年、近畿大学法学部卒業。大学紛争時、学園正常化運動に挺身。代議士公設第1秘書から日野市議4期。平成5年、都議会議員当選、現在6期。教育・教科書採択正常化、過激な性教育・ジェンダーフリー是正、拉致問題解決などの運動の先頭に立つ。都議会拉致議連・花粉議連会長、日野市体育協会会長。藍綬褒章受章。『教科書から見た日露戦争』『日本人なら知っておきたい近現代史50の検証』など著書多数。
──同性婚推進派は「法の下の平等」を謳(うた)う日本国憲法14条などを根拠に、同性婚は禁じられていないと主張する。法の下の平等という原則はあっても、合理的な理由があれば「差別」は許されるという法律的な考え方がある。それが「合理的差別」だが、それがなかなか理解されていない。
憲法との関わりでは、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本とし」あるいは「両性の本質的平等に立脚し」と謳う憲法24条の文言がある。しかし、推進派はその本当の意味は「当事者」であって「男女」ではないから同性婚を排除していない、と主張する。
八木 それこそ解釈変更だ。「両性」というのは、男女の組み合わせを想定している。なぜならば、憲法の下で制定された民法で結婚に「生物学的障害」、つまり人間が生物として宿命づけられた障害を設けている。
典型的なのは「年齢」。「男は18歳に、女は16歳にならなければ婚姻することができない」となっている。それ以外に、性別についての障害も設けている。民法の規定では「夫婦は~」と、男女を想定している。民法学者のほとんどはそう理解している。
少なくとも、民法の規定では、「両性の合意」という場合には男女の組み合わせと理解している。「両性」を「当事者」と読み直すのには無理がある。
──もう一つの論点として、憲法94条との整合性がある。条例の制定は「法律の範囲内」という規定だが、渋谷区側は、婚姻制度とは別の制度だから整合性はあると説明している。
古賀 「行政権は、内閣に属する」という憲法65条の規定もある。しかし、国会で法務大臣が渋谷区の条例について質問を受けて答弁したが、条例は「結婚に相当する関係」としているから、その限りでは憲法に抵触しないと言っている。大臣答弁は法務省の見解になる。法務省は同条例を容認する姿勢を示したということになるのか。
八木 法務省民事局は、裁判官の集まりだが、司法界全体として、価値を守るという発想が乏しく、法の条文を杓子(しゃくし)定規に捉える傾向がある。渋谷区も婚姻制度の中に入れ込む方向を目指しているが、現段階では婚姻制度とは別の制度設計になっている。そこを突かれると法務省の役人も異議を唱えにくい。
これからパートナーシップは全国にどんどん広がっていくだろう。今は結婚そのものでなく「結婚に相当する関係」だとしても、こういうものは国民意識、国民感情との兼ね合いもあるので、国民の多くが「いいではないか」となれば、婚姻制度の中に取り込む可能性は十分にありえる。米国では連邦最高裁までがそういう判決を出した。
──渋谷区の条例の中で、性的少数者の定義に同性愛者のほかに「異性愛者」「無性愛者」「両性愛者」その他が入っている。どういう意味か、理解できない区民も少なくないはず。とくに高齢者は戸惑うだろう。社会通念として受け入れられていない概念を、条例に盛り込んだことにも違和感を覚える。
八木 憲法94条の趣旨からすれば、国の制度で全く認められていないものを一つの自治体でできるのか。十数年来、政治学者の松下圭一氏(国家を前提としない「市民自治」の提唱者、平成27年5月没)の提唱した自治基本条例制定の運動があるが、一般的な理解では、地方自治体の自治権は、国の内閣の行政権の一部を委譲したものだ。
だが、松下説によれば、市民が社会契約をして「基礎自治体(市町村)」をつくり、対応できない広域行政について2度目の社会契約をして「広域自治体(都道府県)」をつくり、それでもできない広域行政があるので、3度目の社会契約をして、国家をつくったという論理。国ができる前に基礎自治体が存在しているわけだ。これは、国の法体系の中で条例を制定しなくてもいいという論理。しかし、異端の学説にすぎない。さすがの今話題の憲法学者も反対だ。





