LGBTの「結婚」を男女同権と同列に扱った「NEWS23」の不見識

◆短い反対意見の放映

 東京都渋谷区が同性カップルを「結婚に相当する関係」と認め、証明書を発行する条例案を区議会に提出して以来、この問題を扱うテレビの時事・報道番組が多いが、同区の対応に疑問を呈するテレビ局はほとんどない。人権尊重はいいこと、しかも海外では「同性婚」を合法化する国が20カ国近くもあるのだから、日本もその流れに遅れないようにすべきである、というのが代表的な賛成意見だ。

 だが、ここで見落とされているのが、家族制度の核心は子供の福祉にあるということ。社会の将来を担う子供のことを抜きに婚姻制度を考えることの危うさは、良識を持った人間なら容易に察しが付こうというもの。しかし、テレビ業界に身を置く人間たちは、そこに思い至らない。というより、無視していると言うべきだろう。

 社会への責任が大きいはずのテレビがなぜそれほどまでに軽薄なのかと言えば、自由・平等・人権を最上位価値とする戦後風潮がどこよりも蔓延(まんえん)しているのがテレビ業界だと考えれば分かりやすい。同性カップルでも「夫婦」とする考え方は自由・平等・人権思想の鬼っ子なのである。

 今月17日放送のTBS「NEWS23」はシリーズ「変わりゆく国」で、「同性カップル 新しい“家族”のあり方」と題して、性的少数者(LGBT=レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の権利問題を扱った。番組は、「経済形態や政治制度は変わるが、男と女が結婚し、子供をつくり、子孫を増やしていく。この流れは太古の昔から変わらない」(「頑張れ日本! 全国行動委員会の水島総幹事長)という条例に対する反対意見をわずかに紹介したが、全体のトーンは同性婚推進だった。

◆変わらぬ自然の摂理

 それを象徴したのが、番組のアンカー岸井成格が、特集のまとめとして語った次の言葉だ。

 「21世紀の世界は、多様性と寛容さを求められる時代と言われる。性的マイノリティーのみなさんを社会が制度的に支えるというのは、一つの多様性の受け入れにつながるのではないか。歴史的に大きな変わり目には、価値観も大きく変わることはよくある。今は当たり前のようになっている男女同権はわずか70年前、第2次大戦の終戦後のこと。その間もいろんな賛否両論があった」

 今は当たり前と思われていることでも、時計の針を少し戻せば、禁じられていたということは少なくない。同性婚も今は反対する人がいるが、将来は当たり前のことになるかもしれないという主張だが、あまりの論理の飛躍に唖然としてしまった。

 条例反対派の意見にあったように、男と女がいて、そこから子供が生まれるのは今も昔も、そして将来も変わらない自然の摂理である。この生物としての原則を基本に、子供の身分を安定させるためにあるのが婚姻制度だ。それを男女同権の問題に重ね合わせて論じるとは、こじつけも甚だしい。

 同性カップルを夫婦と同じと認定した場合、最も懸念されるのは子供への影響だ。男性カップル、あるいは女性カップルの間で育った子供の精神に、どんな影響を与えるのか。渋谷区の条例案は性的少数者に「両性愛者」(バイセクシャル)も入れているが、両性愛者が異性と結婚して離婚したあと、同性カップルで夫婦になった場合、子供の精神的な混乱は必至である。これは決して過剰反応ではない。

◆将来危うくする番組

 8日付のこの欄で取り上げたテレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」に出演したレズビアン・カップルの一人は、“異性愛”の人と同じスタートラインに立ちたい、と言った。この言葉は、日本も同性婚を容認してほしいというだけでなく、同性カップルにも普通の夫婦と同じ権利が欲しいということを意味している。当然、そこには養子を育てる権利も含まれてくる。

 子供への影響をはじめ、同性婚は社会にさまざまな混乱を引き起こす問題だが、それを「21世紀は多様性と寛容の時代」「価値観は変わるもの」などと、大ざっぱな物言いで論じるような報道番組は日本の将来を危うくする。

 「変わりゆく国」と言っても、世の中には変えていいものと、変えてはならないものがある。時代の転換期に必要なのは、節操のない寛容さではない。米国の神学者ラインホルド・ニーバーの祈りにあるように、「変えることのできるものと、変えることのできないものを峻別(しゅんべつ)する知恵」なのである。(敬称略)

(森田清策)