伝統芸能の「加賀宝生」を小・中学生が継承

「子ども塾」で2年間一流の講師陣から学ぶ

 伝統芸能の能楽「加賀宝生(かがほうしょう)」(市指定無形文化財)が盛んな金沢市では、貴重な文化を子供たちに受け継いでもらおうと、「加賀宝生子ども塾」を開講している。塾生は小・中学生たちで、2年間かけて一流の講師陣から基本的な所作や礼節を学び、年1回、保護者や関係者の前で発表会を開き、その成果を披露している。今年度の発表会が3月10日、石川県立能楽堂で行われた。(日下一彦)

石川・金沢市の県立能楽堂で成果の発表会

伝統芸能の「加賀宝生」を小・中学生が継承

「加賀宝生子ども塾」で学ぶ子供たちの鼓の練習風景(日下一彦撮影)

 県立能楽堂は特別名勝兼六園に隣接している。重厚なひのき造りの能舞台には、藍(あい)色の紋付に灰色の縦じまの袴(はかま)姿で塾生たちが勢ぞろいしている。舞台を取り囲む客席は両親や祖父母が詰め掛け、ビデオカメラや携帯を構えて、わが子や孫の“晴れ姿”を収めようとしていた。発表会は今回で17回を数え、春の恒例行事として定着している。

 「加賀宝生子ども塾」は平成14年4月、「加賀宝生」の後継者育成を目指して、金沢市が開講した。貴重な伝統芸能を子供たちに体感してもらい、能楽の持つ美しさや礼節などを人づくりに生かし、文化の裾野拡大を目指している。

 塾生の募集は毎年4月に始まり、対象は市内の小学3年から中学2年まで。稽古は月2回で、2年間のカリキュラム。「謡・仕舞教室」と「狂言教室」に分かれている。「謡・仕舞教室」は募集が20人、「狂言教室」は10人を募集。能楽の花形シテ(主人公)やワキ(脇役)、笛・小鼓・大鼓・太鼓などのお囃子(はやし)も学び、狂言独特の所作にも挑戦する。実技と共に、市内の謡の名所の探索なども含まれている。文字通り、子供たちが能楽全般について楽しく学べるようなカリキュラムだ。

 練習風景を見学したが、基本となる歩き方では、扇を開いて頭に乗せて落ちないようにすり足で歩く。子供たちは最初のうちは戸惑うが、稽古を重ねるにつれて上達していく。さすがに若いだけに習得が早い。声の出し方、身振り手振り、立ち居振る舞いと稽古が続いた。狂言は伝統的な日本のコメディーといわれ、独特のせりふとしぐさが特徴的だ。それを子供たちが堂々と演じる姿には頼もしさを感じる。

伝統芸能の「加賀宝生」を小・中学生が継承

保護者や関係者の前で行う発表会の風景=3月10日、金沢市の石川県立能楽堂(金沢市文化政策課提供)

 塾生を指導する講師陣は、金沢能楽会の全面協力を得て、重要無形文化財保持者(総合指定)を中心に、一流講師陣が基礎から手ほどきする。「長唄」の重要無形文化財保持者の杵屋(きねや)喜三以満(きさいま)師、和泉流狂言方で同保持者の能村(のむら)祐丞(ゆうじょう)師ら、そうそうたる人物が名を連ねている。市の“本物志向”への意気込みが伝わる。

 さらに特筆されるのは、全国初の独自のテキスト本「加賀宝生子ども謡本」を制作していることだ。能楽に触れる機会がほとんどなかった子供たちばかりなので、難解な謡を分かりやすく学んでもらうため、CDに吹き込むなどの工夫が凝らされている。

 また、加賀宝生の歴史や謡の意味、ストーリーを理解しながら楽しく学べるように、解説を加えて特別に編集した謡本となっている。

 「加賀宝生」が金沢で広まるきっかけをつくったのは加賀藩前田家の5代藩主綱紀で、それ以前は藩祖利家の頃から金春(こんぱる)流が盛んだった。綱紀が宝生流の能役者を手厚く保護し、それ以降の歴代藩主は宝生流を愛好した。その一方で、藩は細工(さいく)所の職人たちにも能楽の一部を兼芸させ、教養を高めさせると同時に能の人材として育成し、領民たちにも奨励した。こうした背景があって、金沢は能楽の盛んな土地柄となった。

 保護者にわが子を入塾させたきっかけを聞くと、「兄姉が演じている姿を見て、弟妹がやりたい」「金沢の文化を学ばせたい」などがあった。また、「金沢に住んでいて、加賀宝生の名前はよく聞きますが、歴史や内容はほとんど分からなかった。でもわが子が塾生になって、能楽がとても身近になりました」といった声も聞かれ、伝統芸能を再認識する機会にもなっている。

 また、市文化政策課によると、「塾修了後に、おおよそ半数弱が、能楽に関わる活動を行ったことがあるようです」とのことで、徐々に裾野が広がりつつあるようだ。