普通の子供を素晴らしく

開拓力と誇り持つ人材育成

平成の松下村塾塾長 中塩 秀樹氏に聞く

 長く教育の現場で働いてきた中塩秀樹氏は今年4月、山口県岩国市で「日本の未来を切り拓く、誇りある日本人」を育成するため、「松下村塾」を平成の世に復活させた。中塩氏が塾長を務める「平成の松下村塾」の特徴は、優秀な子供をさらに伸ばしていく英才教育ではなく、普通の子供を素晴らしい人材に育成しようとしている点だ。中塩氏に、その経緯と抱負を聞いた。
(聞き手=池永達夫)

基本は「世のため人のため」
全て受け入れとことん教え

どういう少年時代を過ごしたのか。

中塩秀樹氏

 なかしお・ひでき 昭和28年、広島県呉市生まれ。広島大学理学部卒業、同大学院修了。広島県立国泰寺高校教師、呉高校校長、呉横路中学校長など歴任。著書に「30+2分で、夢が実現する勉強法」(南々社新書)。

 父親は、広島の呉で製パン業「メロンパン」を創業した。このメロンパンにはあんこが入っていて、呉で知らない人はまずいない。

 私の父親は朝2時に起きて仕事を始め、夜8時に閉店し消灯は9時だった。わずか6畳一間に家族7人が寝た。ここでは夜起きて夜中まで勉強することは許されなかった。当然、勉強机も勉強部屋もなかった。

 家の前にあるバスセンターの街灯の下でベンチに座り、寒い冬の日も毛布にくるまりながら木箱を机にして、勉強するのが日課だった。

 たまたま家の前が派出所だったので、治安は抜群だった。しかし、一旦、事件が起きると派出所が騒がしくなるので、勉強するのは大変だったが、警察官が市民の生活を守るためどれほど苦労しているか目の前で見ることができた。そのため自分が多くの人から恩恵を受け生かされていることを自然に感謝できるようになり、「私も世の中のためになる人間にならないといけない」と考えるようになった。

教育の現場が長かったが、教室で感じた問題点は。

 今の小学校は、平等が先行している。だから、子供を育てるより、差をつけたり、順番をつけないようにする。要は賢くしない。運動会で1番2番いらない。遅い子を待って、一緒に手を握り、みんな並んでゴールインだ。

 だからできる子を、さらに引っ張り上げるとかはしなくて、できない子をフォローし、できる子は時間つぶしをさせる。

 分かった子は、もっと先をやりたいし、いろいろ疑問も出てくる。だが先生は、それには答えない。だからできない子と同じ問題をやらせる。横一列に走るようにする。

それでは、日本でビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは生まれない。

 ここでやっているのは、分かる子はどんどん教えていく。今年4月から始めたばかりだが、既に小学校2年生で、5年生の算数をやっている子もいる。

 一方で、5年生だけど、授業が分からなくなっている子には、一旦、4年生にまで戻したり、分かる所から始める。

 要は年齢ではなく、本人の基準に合わせる。早く言うと、分からないのに学年だけ上げていったら、本当に意味のない学習になるし、役に立たない。

 それじゃかわいそうだ。分かることは喜びだ。誰だって分かるとうれしい。ここが松下村塾の松蔭先生と一緒で、分からないところから始まる。

松蔭はそういう教育思想だった?

 松下村塾ツートップの久坂玄瑞や高杉晋作、それに落ちこぼれだった伊藤博文なんかにしても、生徒生徒に合わせテキストが違った。みんな同じ教科書ではない。「お前はこれを読め、お前はこれ」といった具合だ。

 しかし、レベルが低い人は低いなりに、議論には参加させて自分の意見を述べさせる。それでへこまされて、自分はこれではだめだと自覚させ、学習エネルギーを蓄えていくようにしていった。

 また、先駆者の苦労を語り、伝記を読み、その苦労を偲(しの)んだ。

 私たちは、多くの先駆者や開拓者の恩恵を受けて暮らしている。品川弥二郎なんか涙を流し、「俺はこんなすばらしい人が、いたということを知っただけで幸せ」だと言っている。

 「平成の松下村塾」には、この辺りの子供が来ている。優秀な子供をさらに伸ばしていく英才教育ではなく、普通の子供を素晴らしい人材に育成したい。基本的に、すべて受け入れる。そのかわり、とことん教える。

 松陰も身分に関係なく一般庶民を教育している。さらに江戸伝馬町の牢では、囚人たちに勉強を教え、牢屋番まで勉強に参加している。まさに松陰は勉強する意欲をかき立てる天才だった。

 松陰の言葉に「井戸を掘るのは水を得るためで、学問は人の生きる道を知るためだ。水を得ることができなければ、どんなに深く掘っても井戸とはいえないように、人の生きる正しい道を知ることができなければ、どんなに勉強をしたとしても勉強をしたとはいえない」というのがある。

 だから、世のため、人のためになる人になりなさいというのが基本方針であり、強調するのは、人間性向上のための「美しい生き方」についてだ。

 「美しい」という字は、「羊」と「大」で構成されている。「羊」は皮や肉など全てが人の役に立ち、捨てるところがない。すなわち、「美しい人」というのは、姿や形が整っていることをいうのではなく、「人のために尽くすことのできる大きい人」を意味する。「美しい生き方」とは、世のため人のために尽くす生き方のことだ。

 「平成の松下村塾」では、学年でクラス分けせず、小学2年生から6年生まで一緒の教室で学ぶ。休憩時間では自然と学年を超えて一緒に遊び、昔の路地裏であったような缶蹴りや鬼ごっこの遊びも復活し、遊びグループのリーダーも生まれている。

 こうしたリーダーには自ずと自覚が生まれ、勉強にも熱が入り、みんなから「後ろ指」をさされることがないように努力を怠らないし、弱い子供を守ったりする。

「平成の松下村塾」設立の経緯は。

 そもそも昨年11月19日から21日まで三夜連続で、吉田松陰先生が夢枕に立たれ『平成の松下村塾を始めなさい。このままでは、日本が滅亡の危機を迎える。人材の育成を!』と言うではありませんか。それでも11月22日、何もしないでいると、利き腕の左腕に激痛が走り、全く動かせなくなった。急いで、萩の松下村塾に電話して直接、お会いし名前を使わせてもらうことの承諾を得た。

 結局、歴史のある萩に平成の松下村塾をつくることはかなわなかったが、大学時代の学友が縁を取り持ち、岩国で開校することが可能になった。