現状打開には生活習慣の改善必要 我喜屋優氏

興南学園理事長・我喜屋優氏に聞く

 戦後73年目、6月23日には、沖縄戦が終結した「慰霊の日」を迎える。平成22年に甲子園春夏連覇に導いた興南高校長兼野球部監督を務める我喜屋優・興南学園理事長に平和教育のあり方、沖縄の学力、教育の哲学、野球部の指導方法などについて聞いた。(那覇支局・豊田 剛)

感謝の気持ちで甲子園春夏連覇

現状打開には基本的な生活習慣の改善が必要

興南高校長兼野球部監督を務める我喜屋優・興南学園理事長

 ――史上6校目の甲子園の春夏連覇という偉業を成し遂げた。どのようにして興南野球部を強豪に育て上げたのか。

 連覇した当時「我喜屋マジック」という言葉が独り歩きしたが、私は特別なことはしていない。ただ、監督に就任して部員たちにはごみ拾いをすることを教えた。早朝の散歩でごみ拾いをさせた後、1分間スピーチをさせた。感謝の気持ちを言葉で表すことを覚えさせた。ごみ拾いに不満を持っている部員には、野球でいうところのカバーリングと同じだと説明した。

 すると、24年間も遠ざかっていた甲子園に出場することができた。今では、興南は日本一、部員が辞めない野球部となった。足元を見ながら根っこづくりをしているから、たとえ野球部で花開かなくても必ず人生で花が開く。そのためにも、できるだけ読書をし、教養を身に付けるよう指導している。興南は体格的に、まともにやっても全国で勝てないから、頭や技で勝てと言っている。

 ――北海道から沖縄に戻ってきたが、北海道で経験したことを沖縄でどのように生かしたいか。

 1年の半分が冬の北海道では、練習できないという言い訳が通用していた。ところが、実際にやってみると気持ちよく練習できた。逆境を乗り越えれば財産になる。

 私は沖縄の港を離れ、静岡、そして北海道に行った。社会人野球ではバルセロナとキューバにも行き、いろんな経験をした。過去に執着せずに港を離れる「ディスポート精神」が必要だと教えている。沖縄にはいいところがたくさんあるが、沖縄だけを見ているのでは駄目だ。

現状打開には基本的な生活習慣の改善が必要

興南高野球部は甲子園春夏連覇の偉業が評価されて県民栄誉賞を受賞した=2010年9月21日、沖縄県庁

 ――中高一貫校の校長として、沖縄の教育の現状をどう見るか。

 生活習慣から変えていかなければ、いつまでたっても学力ワーストの汚名を返上できない。基本的な生活習慣は、朝に勝つこと。起床してからの時間、家族との話し合い一つをとっても無駄にしないことが大事。本土に追い付き、追い越すには先ほど言ったカバーリング精神が必要だ。

 沖縄には高い山がないが、本土には富士山がある。志を高く持って世界に通用する人材を育成したい。

 いつまでも子供の貧困問題が話題になっているが、いつまでも「問題」にしてはいけない。教育関係者がまず、できることを先にやっていくべきだ。興南が他と一緒にフロンティア精神の旗印なりたい。

 ――6月23日は「慰霊の日」だが、どのような気持ちで迎えるか。

 沖縄戦では兄弟が犠牲になったこともあり、私の両親はあまり語ろうとしなかった。特に子供を失った人は声を大にして語りたくないのが心情だろう。

 それでは、どのようにして平和をつくるのか。手を合わせているだけでは平和は来ない。教育を通じてしか達成できない。戦争を起こさないような民間交流をたくさんすることが必要だ。沖縄はいつまでも同情される悲劇のヒーローではいけない。

 ――今年の夏は甲子園100回記念大会。抱負は。

 50回大会の節目でベスト4入りを果たした。そして、8年前の春夏連覇では、おじぃ(おじいさん)、おばぁ(おばあさん)にも感動を与えることで、沖縄に恩返しができたと思っている。自分自身、50年間もよく野球をやってきたと思うが、100回目となる今大会に何らかの足跡を残したい。

 ――一時期、県知事候補の一人として名前が挙げられたが、政治家になることを考えたことはあるか。

 それはない。右か左か(という主張)ではなく、お互いに理解しようとしなければならない。私はスポーツを通して全国的に講演や執筆もしているが、政治の世界は合わない。スポーツはどんなにお互いぶつかっても、最後は心を一つにして握手して終わる。


我喜屋優 がきや・まさる

 昭和25年沖縄県南城市(当時玉城村)生まれ。43年、夏の甲子園に興南高野球部主将として出場し県内初のベスト4。卒業後、大昭和製紙富士に入社し、大昭和製紙北海道に転籍して監督を務めた。平成19年に興南高校野球部監督に就任し、同年夏、甲子園出場。22年、沖縄県勢初の春夏連覇を果たした。学校法人興南学園理事長、興南中学・高校の校長も兼務。