農村と都市の懸け橋として注目
「秋田学習旅行」40周年 東京・町田の和光中学
東京都町田市の私立和光中学校(松山尚寿校長)の生徒が、昨年9月、秋田県仙北市などの農家を中心に体験学習する「秋田学習旅行」を実施、今年度で40周年を迎えた。同市に拠点を置く「劇団わらび座」の主催によるもので、農村と都市の懸け橋として注目されている。(市原幸彦)
農作業手伝い、相互に感謝の涙
同劇団は新しい日本の歌と踊りの創造を目指す劇団だ。昭和49年から教育に対する先駆的な取り組みも行っており、ミュージカル観劇と踊り教室、農業体験の二つを柱にした5泊6日の学習旅行を実施。毎年全国から2万人の子供たちを受け入れている。
和光中では、昭和52年から2年生全員が参加。仙北市や大仙市、美郷町などの二十数軒の農家が同校生徒の農業体験を受け入れ、収穫期の9月下旬に同校の2年生140~150人が訪れ、これまで延べ約6500人の生徒が参加。これほどの人数をこれだけ長く受け入れている例は少ないという。
40周年を迎えた昨年9月、県は記録的大雨に見舞われ、被災農家も復旧が途上にある中、いつも通り農業体験を受け入れた。生徒たちは受け入れ農家の方々を「お父さん」「お母さん」と呼ぶ。きめ細やかで、じっくりと包み込むような指導や優しさに触れ、学ぶものは大きく、生徒たちは5日目ともなると「もっとここにいたい!」と必ず言うという。
まず7月に、生徒による実行委員会のメンバーを決定。「自分たちだけで合宿をするので学年自治の練習としても考えています」と引率した井上岳史学年主任。9月上旬には、現地での生活ルールやどんな学習旅行にしたいかについて考えていった。
そして9月25日に学習旅行に出発。わらび座に到着すると、ミュージカル「ジパング青春記」を観劇。その後、翌日の「祭りづくり」のため、わらび座のインストラクターと目標などを打ち合わせ。2日目の「祭りづくり」では、稽古場でニューソーラン節の練習などに取り組み、夕方には各クラスがわらび大劇場で「祭り作り発表会」。
3日目から3日間が農業体験だ。班ごと少人数で各農家に通い、朝から晩まで農家の子として過ごした。初めて鎌を使った稲刈りや芋掘り、ビニールハウス内のモロヘイヤの片付け、漬物「いぶりがっこ」に生産者のシールを貼る作業、シソの実取りなど。時折の雨の中、カッパを着込んで馬小屋で掃除や動物の世話もした。コンバインの同乗も初体験。夕食は各農家で楽しくいただいた。
5日目の夜は、稽古場で「お別れ感謝会」。校長先生のあいさつに続いて、各班の班長が自分の農家自慢をする「1分間農家紹介」。言葉にじっと耳を傾けながら、思わず涙をこぼす農家の人も。
実行委員長だった女性生徒が「人のありがたみを感じることが農家をやっていて多いのだと感じました…金より大切な、生きるために必要な食べ物を作っているからと言っていて、その言葉がすごく心に響きました」とスピーチ。その後、感謝の合唱を披露した。
40周年を記念して、11月4日、東京で農家を迎えて「懇親会in和光祭」。同11日には保護者らによる「大人の秋田学習旅行」(1泊2日)が行われた。井上主任によれば「保護者たちは、いろんな意味があるということで、とても充実感を持って感謝しているようです。受け入れ農家も若い世代に伝える役割を担うことができるのは大きな喜びで、農業を続ける自信に結び付いているという方もいます」。生徒や保護者の感想は近く文集として発刊され、関係者に配布される。
学習旅行だけにとどまらず同校は平成10年から、受け入れ農家のコメを購入する運動を行っている。昨年9月の大雨の際は、同校と保護者は大仙市の受け入れ農家に見舞金を贈って支援。「農家が廃れれば農山村の原風景が失われる。教育旅行は生徒たちを、そうした問題も考えられる賢い消費者に育てる目的もあります」と井上主任。
秋田を“第二の故郷”と呼ぶ生徒も少なくない。卒業生の中には農業専門紙の記者になった者、わらび座の舞台監督や俳優になった者、農業関係の仕事に従事した者もいる。
井上主任は「秋田県のみならず日本の第1次産業が、金額ではなく基幹産業だということを生徒や保護者の皆さんが意識し、農家の方々もおいしい農作物を提供していただけるような、地方と都市の関係になっていければ」と語っている。







