デジタル教育の落とし穴

「健全な精神」養う教育岐路に

メンタルヘルス・カウンセラー 根本和雄氏に聞く

 文部科学省は現在、デジタル教育の本格導入に向けて着々と準備を進めている。来るべきAI(人工知能)、ソサエティ5・0社会の到来に向けグローバル社会の進展への対応ということだが、デジタル教育は子供たちの心身の成長に有益なものになるのか、心理学的な側面からその教育的効果などについてメンタルヘルス・カウンセラーの根本和雄氏に聞いた。
(聞き手=湯朝肇・札幌支局長)

教育は内面に向かう旅
危惧される心のメカ化

菅義偉内閣は今年9月にもデジタル庁を発足させます。それに合わせるかのように教育分野でも文科省はデジタル教科書の普及促進を促しています。これについてどのように思われますか。

メンタルヘルス・カウンセラー 根本和雄氏

 ねもと・かずお 岩手県盛岡市出身。岩手大学教育学部卒。現在、国土交通省北海道運輸局嘱託カウンセラー、国立病院機構・北海道がんセンター・治験審査委員、自衛隊札幌病院准看護学院講師、北海道紋別高等看護学院講師、水澤学苑看護専門学校講師、「世界日報」のビューポイント執筆を続けている。主な著書『理解とふれあいの心理学』(ミネルヴァ書房)。

 「教育の目的は健全な精神をつくることである」と語ったのは、20世紀前半のフランスの作家アンドレ・モーロワでした。

 そして、このモーロワが語る「健全な精神をつくる」教育が、今重大な岐路に直面しているのではないかと感じてやみません。それは言うまでもなく文科省が2024年度以降に小中学校で使うという「デジタル教科書」にしようという「中間まとめ骨子案」を文科省有識者会議が提示したことです。すなわち、この「デジタル化」が、児童・生徒の心身に深刻な影響を及ぼすのではないかと懸念しています。

具体的にはどのようなことなのでしょうか。

 例えば近年、日本でも話題になった『スマホ脳』の著者であるスウェーデンの精神科医アンデッシュ・ハンセンはスマートフォン(スマホ)が脳に与える影響について警鐘を鳴らしています。

 人類の歴史的考察によれば言葉や文学は集中力によって獲得してきたのだが、スマホはその大事な集中力を奪ってしまうとハンセンは述べ、さらに「人間の脳はもとより『デジタル社会』には不適応である」と結論付けています。

 ハンセン以外にも明治大学の斉藤孝教授は「学ぶことは自制心を養うことに他ならない」と語っていますが、それは取りも直さず学習することによってメンタル・コントロール(心の制御)の技術を学ぶことだと言っています。さらには、チェコの劇作家であるヴーツラフ・ハヴェルは「教育はどのようなものであれ、内面へ向かう旅である」と語っていますが、そうした「内面」に向かう教育がデジタル教育では可能と言い難いのです。

 ハンセンは「人間がテクノロジーに順応するのではなく、テクノロジーが私たちに順応すべきだ」と『スマホ脳』で指摘しています。これは、古くは『荘子』にも同じことが述べられています。“機械ある者は、必ず、機事あり。機事ある者は、必ず機心あり”と。すなわち、「機械ができると便利で、その機械を用いることが多くなり、何時しかその機械に振り回されて人間の本来の心が不在になり、心までが機械化(メカ化)されてしまう」という。私は、これがデジタル社会の落とし穴ではないか、と考えているのです。

確かに、スマホの普及によってすべてスマホに依存しているといっても過言ではありません。ラインなどによる友人との連絡、オンライン教育から金融決済、医療情報までスマホなしでは生きていけない状況になっています。

 脳科学者の森昭雄氏(医学博士)が、著書『ゲーム脳の恐怖』で「スマホのブルーライトの視覚刺激で睡眠偏重と恒常的な時差ボケ状態に陥る」と警鐘を鳴らしています。さらにデジタルによる機材のみでの教育については「デジタルのみでは学力の低下を招く。知の基本は紙による教科書である」(齋藤孝氏)とする指摘が出てきていますが、紙の教科書を媒体にした教育、さらに紙に文字を書いて学習する教育が豊かな感性の蓄積につながっていくことは間違いないことだと考えています。歴史の始まりを見ると人間は洞窟の壁や動物の皮などに文字や絵を描いて伝達していきました。そこに創造性が発揮されていったのです。

デジタル教育の普及によって、本来、教育が目指していたものが失われていく危険性があるということでしょうか。

 フランスの思想家J・J・ルソーは「真の教育の目的は機械をつくるにあらず、人を造るのである」と語っています。つまり、教育の本質は人格の陶冶(とうや)であり、規範意識の形成と自己抑制を養うこと。また、人類の長い歴史の中で人は紙に文字を書き活字を一つ一つ読んで考え、言葉で表現して人格を形成し今日に至っているのです。デジタルによる受け身の教育ではありません。

 昨今の機械文明とりわけデジタル社会の中で人間らしさが失われる状況の中で、自然と共に自然の中で自分を取り戻すことが、昨今の危機的状況を救う処方箋ではないかと切に思います。

デジタル教育をするのであれば、それと同じく自然体験などでの感性を養う教育にも力を注ぐべきだということですね。

 かつて日本医科大学の角田忠信教授は『右脳と左脳』という著書を著し、日本人の感性について優れた研究を残しました。

 例えば、日本人は秋の虫の音(鈴虫)に情緒を感じるのですが、これは右脳の働きだというのです。つまり、左脳はデジタル的(論理的)な働きをしますが、右脳はアナログ的で感性や情緒的だと言います。欧米人は虫の音を雑音としか判断しないようですが、これは左脳による働きということになります。日本人には虫の音も音楽のように聞こえるそのような素晴らしい感性を持っているということになります。

 デジタル教育一辺倒になれば日本人の持っている右脳の感性や情緒を退化させるのではないかと危惧せずにはいられません。そのためにも自然や人と人との交流、さらには家族との絆を深めるような教育の充実が今求められているのではないでしょうか。