「陽明丸」を描く映画に子供たちの自画像を挿入

 今から100年前、ロシア革命(1917=大正6年)後の混乱期に、ロシア・ウラル地方に疎開していた約800人の子供たちが難民となった。彼らを船に乗せ、太平洋、大西洋を横断して3カ月余りかけて、親元に届けるという大救出劇を果たしたのは日本船「陽明丸」だった。この国境を超えた壮大なドラマを取り上げるロシア映画に、関係する国々の子供たちの自画像が使われることになり、この事跡を顕彰している「人道の船 陽明丸顕彰会」(石川県能美市)に、交流を重ねてきた難民の子孫から制作依頼があり、能美市や金沢市などから関係者の元に15点の作品が集まった。(日下一彦)


子供難民800人を救った人道の船、子孫が顕彰会に依頼

「陽明丸」を描く映画に子供たちの自画像を挿入

集まった自画像を前にする北室理事長=石川県能美市の「人道の船陽明丸顕彰館」(日下一彦撮影)

 自画像は、陽明丸によって無事に帰国できた祖父母を持つオルガ・モルキナさんからの要請で、今年2月、同顕彰会の北室南苑(なんえん)理事長=能美市=の元に届いた。北室さんが知人や母校などに手配し、能美市と金沢市、そして陽明丸の船長の出身地・岡山県笠岡市の子供たち15人から寄せられた。9~14歳がA4判の紙に、色鉛筆や水彩絵の具、クレヨンなどで描いている。作品は長編のアニメドキュメンタリーの中で使用される予定だ(タイトルは未定)。

 書・篆刻(てんこく)家の北室理事長が「陽明丸」に関わるようになったのは、2009年にサンクトペテルブルクで開いた個展で、陽明丸に祖父母を助けられたオルガ・モルキナさんから船長を探してほしいと依頼されたことに始まる。

「陽明丸」を描く映画に子供たちの自画像を挿入

関連資料と共に展示されている茅原基治船長の写真(日下一彦撮影)

 船長に関する明確な資料があるわけではなく、「ヨウメイマル」の船名と船長の名前しか分からない。北室さんにとって雲をつかむような話だったが、休日のたびに大阪や神戸の図書館を調べ回る中で、国立国会図書館に該当する分厚い名簿のあることが分かった。

 そこで、その人物が茅原基治であることを突き止めた。依頼を受けて2年後のことだった。それ以来、北室さんとモルキナさんの交流が深まり、彼女もロシアで「陽明丸に救われ、帰郷したウラル児童難民子孫の会」会長として、人道的な活動を続けている。

顕彰を進める北室さんにとっても不思議な事実が判明

 顕彰を進める中で、北室さんにとっても不思議な事実が判明した。それは祖父の清二さんの足跡で、軍人でとても厳格な人だった。シベリア出征し、陽明丸がウラジオストクを出港する頃、祖父も同所にいたことが分かってきた。

 北室さんが篆刻を志したのは祖父の影響で、清二さんは漢文や書道に非凡な才能があり、自宅には出征直前の30歳ごろに描いた千字文屏風(びょうぶ)が残っている。それを見ると、「気迫がみなぎり、集中力、精神性の強さが現れている」という。

 端正な文字を見ても、崇高な軍人気質の持ち主だったようだ。「とても深い縁を感じます。祖父が孫の私に陽明丸の事跡を教えてくれて、日本人の美徳を広く知らせてほしい、頑張れ、と力づけてくれているように感じます」

 北室さんはこれまでの経緯を『陽明丸と800人の子供たち 日露米をつなぐ奇跡の救出作戦』として、4年前に上梓(じょうし)した。映画は今年末から来年前半に完成予定という。