カトリック教会にも#MeTooを

米コラムニスト マーク・ティーセン

聖職者の性的虐待隠蔽
ローマ法王が謝罪の書簡

マーク・ティーセン

 ローマ法王フランシスコの信徒への書簡は、注目に値する。カトリック教会の司祭らによる性的虐待だけでなく、司教らが虐待を隠蔽したことについても謝罪したからだ。

 法王は「天国に叫ぶ犠牲者の胸を締め付けるような痛みは、長い間、無視され、沈黙の中に封じ込められてきた」と主張。「この事件の真相を突き止めること、それだけでは不十分だ」と指摘した上で、「これらの罪を犯し、隠蔽した者全員に責任」を持たせることを約束し、「必要な対応や処罰がなされてこなかった」ことを深く悔いていると表明した。

 素晴らしいことだ。しかし、行動が伴わなければ、意味がない。教会の監督制度そのものが腐敗している。沈黙の文化が、虐待の文化を繁栄させた。司教らが、作為と不作為によって、法王の言う「権力への欲望」を追求する中で、悪が教会全体にはびこってしまった。悪は根絶されなければならない。

 カトリック教会でも「#Me Too」運動を起こす時だ。まずは、現代の世俗的権力の象徴、ワシントンからだ。元ワシントン大司教セオドア・マカリック師に対しては、16歳の侍者、家族と面識のある11歳の少年だけでなく、監督下にある数多くの神学生、若い司祭らを虐待したという信頼性の高い申し立てがなされ、同師への信頼は失われた。マカリック師自身は訴えを否定し、コメントも拒否している。

◇神学生らを誘惑

 マカリック師は、カトリック教会のハーベイ・ワインスタインだ。訴えについて知っていながら、行動しなかった者がいる。サンディエゴのロバート・マッケルロイ司教もそのうちの1人だ。聖職者による虐待に詳しいリチャード・サイプ氏は数年前、マッケルロイ師に接触し、マカリック師や十数人の司祭や司教が子供、神学生を虐待していることを伝えた。反応はサイプ氏にとって驚くべきものだった。複数回にわたって会う中でマッケルロイ師が虐待に対して関心を示さなかったからだ。そのためサイプ氏は2016年、マッケルロイ師に公式なルートを通じて13㌻の書簡を送った。「セオドア・マカリック枢機卿は、数多くの神学生、司祭を性的に誘惑し、性的な行動を取ったと報告されている。…マカリック師からの誘惑や嫌がらせ、性交渉を証言している12人の神学生と司祭にインタビューした。同師は、『1人で寝るのは好きではない』と言っていたという。マカリック師のニューアーク大司教区に入籍したある司教は、性交渉のためにベッドに連れていかれ、『これが、米国の司祭がしていることだ』と言われた」。

 マッケルロイ師のスポークスマンは、サイプ氏に追加情報を求めたことを明らかにした上で、「基本的にうわさ話であり、証拠はない」と語った。しかしサイプ氏はマッケルロイ師に、被害者は怖くて名乗り出られないと説明したという。サイプ氏は「今のところ、不名誉と報復を恐れ、公に話をすることはできない」と指摘、「ある司祭は公文書管理室から『マスコミと話をすれば、つぶす』と言われた」ことを明らかにしている。マッケルロイ師は何もしなかった。サイプ氏は、法王の使節、シーン・オマリー枢機卿が率いる未成年者保護のための委員会にもこの書簡を送った。ニューヨークのボニフェス・ラムゼー司祭は15年6月にオマリー師に同様の書簡を送ったと述べた。オマリー師は書簡を見ていないというが、そんなはずはない。誰かが握りつぶし、無視した。

◇地位と権力優先

 ペンシルベニア州大陪審の報告によると、ワシントン大司教のドナルド・ワール枢機卿は、ピッツバーグ教区の司教だった時に、教区内の略奪的司祭を異動させ、秘密保持契約などで被害者を黙らせた。ワール師の辞表は法王のデスクにある。

 全司教は75歳で辞表を提出しなければならない。法王はただそれを受け取るだけだ。法王が書簡を公表したその日、ワール師のピッツバーグ教区の後任であるデービッド・ズビク司教がFOXニュース「スペシャル・リポート」に出演し、司会のブレット・ベイヤー氏に「隠蔽はなかった」と言った。ズビク師は、司教らによる「隠蔽」「口封じ」「無視」「ごまかし」に8回言及している法王の書簡を読まなかったのだろうか。読んでいなかったとしても、ズビク師は、隠蔽があったことを知っている。当時、ワール師の下で聖職者の人事を管理する責任者であり、事件の中心にいた人物だからだ。

 司教らには、司祭、教区民らを守る責任があるが、自身の地位と権力を守ることの方が大切なようだ。司教らは22日、世界中のカトリック教会で行われたミサでの聖書朗読を聞いて震え上がったことだろう。

 「主なる神はこう言われる、わざわいなるかな、自分自身を養うイスラエルの牧者。…わが羊はかすめられ、…もろもろの獣のえじきとなっているが、…わが牧者はわが羊を尋ねない。…見よ、わたしは牧者らの敵となり、わたしの羊を彼らの手に求め、彼らに…養うことをやめさせ、…またわが羊を…救って…」

 主なる神よ、養うことをやめさせ、主の羊を救いたまえ。

(8月24日)