日本PKO只今4人、高田警視の千の風を想う

山田 寛

 「何しろたった4人ですよ」。長く国連平和維持活動(PKO)に関わった大島賢三・元国連事務次長が心底残念そうに言った。

 PKOは現在世界で14ミッションが実施され、10万人以上が従事している。だが日本は昨年5月、5年半で延べ4000人を派遣した南スーダンから自衛隊部隊を撤収した後、司令部要員4人を残しているだけだ。

 日本PKOの次の参加先は見つけ難い。憲法9条と92年のPKO法の参加5原則(紛争当事者間での停戦合意、必要最小限の武器使用など)に縛られ、政府は現地が非戦闘地域と言い繕い、野党やメディアは日報の字句や管理で大騒ぎ。そんなコップの中の“ガラパゴスPKO”では、16年の平和安全法制で「駆け付け警護」などを可能にしても、現地のニーズとの格差は大きい。

 今や住民保護のための先制攻撃までも求められる。交戦権否定の憲法の改正が必要になる。

 篠田英朗・東外大学院教授は、自衛隊も警察も派遣できないなら、補給、監視・分析技術での貢献、能力向上のためのアフリカやアジア諸国への支援協力を強化すべきだとする。実際、後方支援も重要だ。政府も当面東南アジア諸国連合(ASEAN)への訓練支援に努めるという。だが、「金より人の派遣」はPKO法の原点でもあったはず。

 国際平和と安全に積極関与する国を目指したい。人の派遣の可能性を何とかまた見つけたい。

 警察の派遣を期待する声は多い。最大限の安全確保体制が必要だが、私も強く期待する。

 91年10月のカンボジア内戦和平協定調印で、国連PKO派遣、国連管理の選挙実施が決まった頃、私はカンボジア当事者4派の中の穏健派指導者、ソン・サン元首相に会見した。開口一番彼は言った。「日本の参加を願う。特に警察に来てほしい。優秀な日本の警察が来てくれたら、国の将来にも極めて有益だろう」

 結局、日本から約600人の自衛隊員と75人の警察官が初めて派遣された。だが選挙直前の93年5月、「協定参加でも選挙拒否」のポル・ポト派とみられるゲリラの襲撃で、高田晴行警視が殉職する事件が起きた。これが大トラウマとなり、その後日本PKOへの警察官の参加はほぼゼロとなった。

 ある評論家も嘆く。「警察庁は『もう御免。警察官にそんな危険な海外任務もあると思われたら、新規募集にも差し支える』と言うのだ」

 私は世界各地からの難民や難民希望者と話すことが多いが、自国警察への不信感は強烈だ。本当に日本の警察に見本を示してほしくなる。

 日本PKOの原点、カンボジアで29日、国会選挙が行われる。だが昨年8月、フン・セン政権は野党やメディアへの大弾圧を始め、最大野党で与党人民党を脅かす救国党は11月に解散させられた。今回選挙に参加しているのは、人民党以外は弱小政党。民主政治を装う白粉役である。

 中国はこの選挙を全面支援する。民主的選挙と無縁で、かつてこの国を徹底破壊したポル・ポト派の後見人だった国が選挙監視団を送る。ほぼジョークだ。欧米は協力ノー。日本は8億円の援助を行う。「この国を中国一辺倒にしないため」。でも大ハコモノ援助+ジョークにかなわない。

 昨年10月の本欄で、民主主義が死につつあるとして、やはり93年選挙の監視活動中に殺されたボランティア青年、中田厚仁さんに触れた。今回、高田警視を想(おも)う。民主主義の脳死を表すカンボジア選挙、たった4人の日本PKO、世界で続く紛争とテロ。彼の千の風はカンボジア、日本、世界を今どんな思いで吹いているだろうか。

(元嘉悦大学教授)