「太平洋戦争」の名称の背景

 昨年暮れのとある会合で、先の戦争の名称について、参加者の間で意見が割れ、あわや喧嘩(けんか)になるのでは…と思う場面があった。

 私は、先の戦争の名称については「大東亜戦争」だと主張し、次のように説明した。

 そもそも「太平洋戦争」という戦争名が使用されるようになったのは、昭和20(1945)年8月15日以降に、連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策として行われた「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)という情報宣伝計画による。これは「戦争の罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」とも訳され、昭和27年4月28日にサンフランシスコ講和条約の発効で、日本の主権が回復されるまでの約7年間にわたって実行された。

 一例を挙げれば、昭和20年12月から新聞各紙が一斉に連載を開始した「太平洋戦争史・真実なき軍国日本の崩壊」は、GHQ民間情報教育局から日本のマスコミに配布されたものだ。内容は、満洲事変以降の日本軍による残虐な侵略行為が一貫として続いた話となっている。この時から「大東亜戦争」という戦争名は使用を禁止され、連合国の視点による「太平洋戦争」で統一されることになった。

 その背景には、米国は広島・長崎への原爆投下、東京大空襲や都市への焼夷(しょうい)弾による空爆で多数の非戦闘員を虐殺したため、日本人の反発や復讐(ふくしゅう)を恐れていたことがある。

 戦後70年が過ぎてもいまだに日本が「太平洋戦争」を戦争名として使用し続けることは、GHQによる占領状態が続いているのと同じ状態といえるだろう。

 本来ならば、マッカーサーが朝鮮戦争中に米国に呼び戻され、昭和26年5月3日に上院軍事外交合同委員会で「日本が行った戦争は侵略戦争ではなく、自衛のための戦争だった」と証言した時点で、「大東亜戦争」に戦争名を改めるべきだった。

 以上が、私が参加者に説明した内容だ。

 いつまでも「太平洋戦争」のままでは、日本人としての誇りや、正しい日本の歴史を子供たちに教えることもできないと思うのだが、読者諸氏の見解は如何(いか)に。

(濱口和久)