防衛大での学生生活
7月23日、横浜駅近くのホテルで、防衛大学校で卒業研究(卒業実験)を担当してくれた指導教授の退職をお祝いする謝恩会に出席した。
私の卒業研究のテーマは「過渡接合容量によるSi‐MOSの界面評価」という実験だった。実験の内容を説明すると、それだけで文字数を超えてしまうので、ここでは省略する。
私は2年生から材料物性工学科の専攻となった。一般大学の理学部系の応用物理、応用化学、工学部系の機械工学から、素材系の研究分野を集めて作られた1学年約25名程度の学科だ。
一般的に防衛大は、将来の陸海空幹部自衛官を養成する学校であり、防衛学と訓練しかやっていないというイメージが強いが、そうではない。防衛大は防衛省所管の大学校であるが、文部科学省が定める大学設置基準に合わせた大学教育が行われている。私が学生のころは、人文系2学科、理科系14学科があり、一般大と同じ教育が行われていた。平成4年からは卒業時に学位も授与されるようになった。
卒業に必要な単位数は一般大よりも多く、学業不良による留年は1回だけだ。2回目の留年が決まると、退校(強制退学)となる。
防衛学は学年が上がるにつれ授業科目は増え、3年生では防衛学ゼミも始まる。訓練の時間は4年間を通じて週1時間から2時間程度しかないが、7月の1カ月だけは、朝から訓練漬けの毎日となる。私は陸上要員だったので、2年生と4年生のときは、東富士演習場(静岡県)の兵舎に寝泊まりして射撃、戦闘訓練、行軍などを行った。3年生のときは、希望する陸上自衛隊の駐屯地に1カ月間寝泊まりしながら、研修・訓練を行う。私は弘前駐屯地(青森県)で過ごした。
話を謝恩会に戻すが、私は指導教授から連日、英語で書かれた文献の課題を大量に出され、苦労した記憶が残っている。また、研究室で午前2時ごろまで実験したこともたびたびあった。今思えば懐かしい思い出だ。
久しぶりに指導教授のお顔を拝見し、学生時代の話で盛り上がった1日だった。
(濱口和久)