ワクチン接種は国民の義務

米コラムニスト キャサリン・パーカー

順調にいっても来年春
計画に不安の声も

 命を救うワクチンが、さまざまな場面で私たちの生活に影響を及ぼすことは間違いない。

 ワクチンの量は必要とされるよりも数千万回分も少なく、まず、ワクチンの配分計画を聞けば、楽観的な考えはしぼんでしまう。誰が接種を受け、誰が接種を受けないのか。誰が決めるのか。政府は、誰が予防措置を施すのに値すると考えているのか。少なくとも、最初の段階ではそのような疑問が生じる。

 米国では、疾病対策センター(CDC)の諮問委員会がすでに、この疑問に答えようとしている。諮問委は1日、医療従事者、介護施設の入居者と職員が優先されるべきだと主張した。消防、警察などはその次。

 その次は誰だろう。普通に考えれば、高齢者だろうか。なら「高齢」はいくつ以上か。それから糖尿病、心臓・呼吸器疾患など、重症化リスクが高い人々だ。

◇日常的に恐怖実感

 若い頃にサイエンスフィクションを読み過ぎたせいだろうか。この新たな「分類」が大衆に受け入れられない可能性が高いと思っている。誰もがすでに日常的に恐怖を感じている。それに加えて、ワクチンの供給不足だ。人として、落ち着いて、順番を待っていられるだろうか。

キャサリン・パーカー

 

 私にその確信はない。タイタニック号のことを思い出す。誰が救命ボートに乗り、誰が取り残されるのか。まず、女性、子供、高齢者が優先された。男性は、女性に譲り、勇敢に船に残り、自らの運命に向き合った。映画では、金持ちの何人かが赤ん坊を放り出し、自分が救命ボートに乗るシーンがあった。

 ワクチンが本当に命を救ってくれるなら、そこでその人の本当の姿が表れるはずだ。持病を持つ人が列の前に並べるのなら、喫煙者のような、よくない生活習慣で病気を悪化させた人々も前に並べるのか。健康な人よりもリスクが高いのは確かだ。ぎりぎりのところにいる人々も特別扱いを主張するのか。

 ワクチン接種を求めるかどうかの問題もある。できるだけたくさんの人に免疫を持たせることが、社会のためになる。しかし、健康な30歳の若者が、少しであってもウイルスを注射されるのは嫌だと言ったらどうするのか。強制できるのか。いろいろな層、背景の多くの人々が、国が計画したワクチン接種に懐疑的なことがすでに明らかになっている。

 雇用者との関係にも疑問がある。従業員に接種を強制できるのか。それは、労使関係としては適切なのか。

 ほとんどの国民がワクチン接種が始まることを聞いて安心しているはずだが、順調に行っても、順番が来るのは来年の春かそれ以降と聞いてがっかりしている人も多いはずだ。取り残されたと思っている人々は何を頼みにすればいいのか。

 ワクチン開発のニュースはめでたいことであり、とにかくほっとしている。しかし、びっくりするような輸送の問題について聞かされたり、いろいろなシナリオを考えたりするうちに、せっかく出された高級シャンパンも気が抜けてしまう。

 他の人々も私と似たようなものだと思う。私は遅発性ぜんそくを患い、イエダニが少しいるだけで肺の炎症を起こしてしまう。何年か前から毎年、インフルエンザの予防接種をしているが、今年は接種の後、数時間、横にならなければならなかった。

 それでも、ワクチンの接種は怖くない。順番が来るのを楽しみにしている。

◇マスク着用要請へ

 冷静に考えれば、ワクチン接種は国民の義務とすべきなのかもしれない。見ようによっては、互いに接種し合うようなものかもしれない。

 ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ元・前大統領がしていることがまさにこれだろう。3人は一市民として、国民の心配を軽くしようと、進んで公開で接種を受けることを明らかにした。ジョー・バイデン氏も、医師が許可すれば、公開で接種を受けるとした。バイデン氏は、大統領就任後100日間、全国民にマスク着用を求め、連邦政府ビル、公共交通機関でマスク着用を義務づける意向を表明している。

 全体から見れば、何ということはない。あと100日と、もう1年とどちらがいいかということだ。退任する大統領が、国民の多くが苦しみ、犠牲を払っていることをあざ笑うのでなく、同じことを呼び掛けてくれたら、話は大きく違ってくるのかもしれない。