野党混乱で「55年体制」復活へ
「竜頭蛇尾」の希望の党
左派勢力は2割以下に零落
このたびの衆議院議員選挙に際して、自民・公明の政権与党が獲得した議席は、総議席の3分の2を超えた。これに加えて、このたびの選挙は、民進党が「保守系」と「リベラル系」に割れただけの結果に終わった。自民、公明両党の党勢がおおむね変わらないという結果は、与党よりも野党の動向に関心を向けさせる。
まず、希望の党の党勢における「竜頭蛇尾」の結末こそ、今次選挙の象徴する風景として語られるかもしれない。その「竜頭蛇尾」の要因として挙げられるのは、次の二点である。
第一に、小池百合子(東京都知事、希望の党代表)の政治姿勢において、「自分が、自分が…」という「我」が前面に出過ぎているということにあるかもしれない。その「我」の強さは、彼女の姿勢に「独善性」と「利己性」を浮き上がらせた。小池が新党を立ち上げるに際して、細野豪志(元民進党代表代行)や若狭勝(前衆議院議員)の尽力が報じられたけれども、希望の党結党後、こうした小池の仲間たちの姿は消えた。希望の党が実質上、「小池私党」であるかのように小池が演出したことこそ、希望の党から民心を離反させたのである。
第二に、希望の党に民進党が合流すると伝えられたことに端を発する紛糾は、希望の党の政党としての性格を誠に曖昧なものにした。実際、希望の党は候補公認の条件として「憲法改正と安保法制容認」を明示していた。けれども、『朝日新聞』(10月27日配信、電子版)記事は、当選議員の7割が安保法制を否定的に評価している事実を伝えている。それは、小池が、選挙戦中、候補者の「選別と排除」を口にした割には、その「選別と排除」が厳密に行われなかったことを意味したし、希望の党それ自体も民進党から合流し当選した議員に乗っ取られつつある事情を示唆している。
そもそも、安保法制評価のような安全保障案件で二言を弄するような政治家は、信頼度において最低の部類に属するであろう。しかも、希望の党の失速が語られる段階に至って、希望の党候補から党への「離反」を示唆する発言が相次いだのは、有権者に対して極めて不誠実であったと断ずる他はない。希望の党は結局、小池の「野心」と民進党の面々の「保身」の枠組みにすぎないという印象が広まった。政党の根底にあるべき「信頼」において、希望の党が立憲民主党よりも格段に落ちると見られたのであれば、その失速も当然の成り行きであったと評するべきであろう。
次に、「立憲民主党の躍進」として語られている現象の意味は、適切に検証される必要があろう。実際、麻生太郎(副総理兼財務相)は、「いわゆる左翼勢力が3割を切った歴史はこれまで1回もない。今回は共産党と立憲だか護憲だか知らないが、あの政党が左翼との前提で計算して、社民党が2議席で(立憲民主党と共産、社民の合計で)69(議席)。(定数)465分の69。2割切った」と語っている。麻生が指摘した通り、立憲民主党の55議席に合わせても、「左派連合」が総議席の15%を占めるにすぎない勢力にまで零落したということの意味は重要である。「立憲民主党が躍進した」などというのは、表層的な評価にすぎない。それは左派政治勢力同士で票を食い合った結果であると見ることも可能であるからである。
しかも、政党の将来の党勢に直結する新人議員に関していえば、立憲民主党が小選挙区で獲った17議席中、新人候補が登場したのは、北海道2と神奈川1の3議席にすぎない。また、枝野幸男(立憲民主党代表)は、「安保法制を前提とした9条改憲には反対。阻止に全力を挙げる」と語っているけれども、立憲民主党が共産、社民両党と同様に「反改憲」を党のアイデンティティーにしようとするならば、その党勢は尻すぼみであろう。立憲民主党の先々の党勢は、立憲民主党支持層の主体が若年層ではなく高齢層であるという事実にも示唆される。
加えて、立憲民主党に「看板」を付け替えた面々の多くが民主党内閣3代の政権運営を担った事実に醸し出される憂鬱(ゆううつ)な空気は、立憲民主党の「躍進」と思しきものを前にしても、払拭(ふっしょく)されるわけではない。岡田克也(元外務大臣)や野田佳彦(元内閣総理大臣)が結成した「無所属の会」にしても、それが希望の党と立憲民主党の「連結点」という位置付けを模索するのにとどまれば、国民生活に対する政策遂行上の責任を果たすことには何ら結び付くまい。
このようにして、野党の混乱は、冷戦期の日本政治を特色付けた「55年体制」下の自民党「一党優位」の様相を復活させ、定着させようとしているかのようである。それは、1990年代初頭以降、四半世紀に及ぶ二大政党制樹立への模索を失敗の瀬戸際に追い込んでいるのである。
(さくらだ・じゅん)