コロナ禍と危機管理
元統幕議長 杉山 蕃
柔軟かつ強靭に制度運用
政府と国民一丸で難境克服を
コロナ禍の状況は、国、各自治体の非常事態宣言等懸命の対策が採られているが、地方への蔓延(まんえん)等厳しい情況が続いている。ここ一番、国民の自覚自重が必要な時期にあると考えている。24日からは、自衛隊による集団接種が都内で開始され、3カ月間1日1万人という高いペースで行われるという。大阪市内でも同様の処置が行われる予定で、実に結構な取り組みと言えるだろう。1日1万人といえば、1日8時間行うとして時間当たり1200人、分当たり20人ということになり、大変なハイペースである。自衛隊らしい秩序ある諸手順で整斉と取り組んでほしい。
早期実情把握が大原則
コロナ禍が本格化してから1年半を経ようとしている。ここで、現在に至る努力を評価・反省し、まだまだ続くであろう「大禍」を乗り越える方向について、危機管理的視点から私見を披露したい。
まず現場で発症者と向き合っている医療従事者の健闘には深甚なる敬意を表すべきだと考えている。通常の医療状態を安定的に維持運営してきた体制にとって、突然の、しかも手間のかかる感染症の出現が、人員・器材の両面から大変な負担となっていることは想像に難くない。しかし半面、急激な需要の拡大にもっと容量を広げて対処能力を拡大する努力、すなわち対処力の柔軟性への努力にもっと注力すべきだとの疑問も湧く。
前にも論じたが、感染・保菌を判定するPCR検査の状況は、我が国は異常に低い状態が続いた。欧米諸国とは桁の違う低さで、今に至るも検査数に関して公式に発表しない状況にある。要は、検査制度のバリアーを高く設けた我が国の事情によるものであるが、結果、発症が疑わしい者に検査対象を絞り、陽性であっても症状の起きないものは通常の生活を行い、大きな感染源となっている事実は否めない。危機管理の大原則は早期に実情を掌握することにある。この点、遺憾な出発をしてしまったと言える。
一方でこの欠陥を突いて、PCR検査のネット商法が幅を利かしている。結構な価格で低所得者には不向きであり、本来、無料・平等に国が行うべき検査であるとの認識に立てば、大いなる矛盾を感じざるを得ない。検査数の拡大、陽性者の掌握・自宅隔離等による陰性化の促進は、全て蔓延防止の原点であり、有効な策を講じてほしいものである。
危機管理の次のステップは被害局限である。拡散・蔓延防止の処置は次々と打たれているが、まだ物足りない。筆者の年代は、幼児ながら戦争を体験し、絶望と社会崩壊の時代を経験した。この経験に比すれば、現状はまだまだ余裕があり、十分な資源がある。政府中枢を先頭に、国民打って一丸となり、耐乏生活覚悟で、この特異な感染症に対峙(たいじ)し、その影響を局限していく覇気が求められていると感じている。同時に、平穏時を前提とした医療制度、態勢を柔軟かつ強靭(きょうじん)に運用して、難境を克服していく努力が必要である。
次は「医療崩壊」なる言葉が横行していることに対するクレームである。マスコミ関係者のみならず、医療・行政の中核にある人たちからの発言を見聞する。実に遺憾な事態と考えている。一体「崩壊」の先に何が残るのだろうかと聞きたくなる。如何(いか)なる困難な状態になろうとも、代替手段、優先順位、段階的対応といった努力を傾注し、できる限りの組織活動を行うのが、危機管理論である。少なくとも医療の中核に位置し、医療に、そして行政に責任ある立場にある方々は、見積もりの厳しさに、警戒を促すのは結構であるが、窮状打開の先頭に立つ心強い態度を堅持してほしいものである。
次世代による改革期待
最近の大学受験生の動向について触れる。受験生の志望ランキングは、東大医学部を頂点とし、有名高校のトップクラス多数が入学するという。結構なことであるが、同学部卒業の級友から、過集中だとの批判も聞くが、将来性豊かな人材が我が国の医学・医療を牽引(けんいん)していくことなるのであろうから、大いに期待をしたい。今回のめったに体験できない事態を参考に、国際的に遅れているといわれる我が国の体制を大いに改革していってほしいものである。戦後の医療体制構築に大いに貢献した武見太郎氏(ケンカ太郎)が亡くなって40年、次なる英傑が待たれるこの頃である。
(すぎやま・しげる)