武漢研究所で「危険な実験」、流出説めぐり注目高まる

 新型コロナウイルスの起源をめぐり、中国の武漢ウイルス研究所(WIV)からの流出説の信憑(しんぴょう)性が高まってきた一因に、そこで行われていたウイルス実験に伴うリスクへの認識が広がってきたことがある。WIVの研究には、大統領首席医療顧問を務めるファウチ氏が所属する米政府の研究機関も資金を提供しており、米議会でも問題視され始めた。(ワシントン・山崎洋介)

米国が資金提供で支援
米議会でも問題視

 流出説の信憑性を高めることに大きく寄与したのが、元ニューヨーク・タイムズ紙のベテラン科学ジャーナリストであるニコラス・ウエイド氏が今月上旬、オンライン学術誌に発表した長文の論考だ。

ファウチ米国立アレルギー感染症研究所長=1月21日、ワシントン(EPA時事)

ファウチ米国立アレルギー感染症研究所長=1月21日、ワシントン(EPA時事)

 この中でウエイド氏は、新型コロナの起源について詳細にわたって検証。自然発生説について、2002~03年に流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)や15年の中東呼吸器症候群(MERS)のケースと異なり1年以上たっても感染経路について手掛かりがないなどの問題点を指摘し、研究所流出説の方が、新型コロナに関する事実について「はるかに容易に説明できる」との見方を示した。

 特に、コウモリ由来のウイルス研究者で「バットウーマン(コウモリ女)」の異名を持つ石正麗氏がWIVで、コウモリから取り出したコロナウイルスの遺伝子を操作し、人間の細胞に感染させる実験を行っていたことに注目。「記録が封印されているため、石氏が研究室でSARS2(新型コロナ)を生成したか否かはまだ定かでないが、確かにその方向に進んでいたようだ」と人工的に作られた可能性を提起した。

 こうした研究は、「機能獲得研究」と呼ばれ、人為的にウイルスの感染性や病原性を高めることで、将来のパンデミック(世界的大流行)を予測し、ワクチン開発などにつなげることを目的とする。だが、実験で作られた危険性の高いウイルスが漏洩(ろうえい)するリスクが指摘され、論争の的となっていた。

 米国立衛生研究所(NIH)は14年から、SARSのようなコロナウイルスが発生するリスクを研究するため、米ニューヨークを拠点とする非営利団体エコヘルス・アライアンスに資金提供。同団体は、昨年停止されるまでの6年間でNIHから370万㌦を受け取り、そのうち約60万㌦を中国のWIVに提供した。

 米政府内で機能獲得研究を支持してきたのが、NIH傘下の国立アレルギー感染症研究所(NIAID)のファウチ所長だ。今月11日の議会公聴会で、共和党のランド・ポール上院議員は、石氏らがコウモリから取り出したウイルスを「強化」し、人間の細胞に感染し得る「スーパーウイルス」にしたと訴え、この資金提供について厳しく問い質(ただ)した。

 白熱したやりとりの中で、ファウチ氏は「NIHは、武漢ウイルス研究所での機能獲得研究にこれまでも、現在も資金を提供していない」と強く否定した。

 だが、WIVへの資金提供が機能獲得研究に当たらないとの主張には、科学者から反論も出ている。

 同研究に反対してきたラトガーズ大学教授でバイオセーフティーが専門のリチャード・エブライト氏は、ナショナル・レビュー誌で、ファウチ氏の発言は「明白な間違い」だと異議を唱えた。例えば、石氏らが17年に公開した研究論文には、資金提供者としてNIAIDが明記されている上、機能獲得研究を行ったことは明らかであるという。

 「これは、パンデミックを引き起こす潜在性を持つ新たな病原体を生む、リスクの高い研究だ」。エブライト氏は、その研究内容を問題視した。

研究資金握るファウチ氏
新型コロナ自然発生説 「確信せず」と立場転換

 研究所流出説が当初、「陰謀論」として排除されてきた背景には、WIVとつながりを持つ米研究者の働きもあった。

中国・武漢ウイルス研究所と関係が深い米非営利団体エコヘルス・アライアンスのピーター・ダザック代表(本人のツイッターから)

中国・武漢ウイルス研究所と関係が深い米非営利団体エコヘルス・アライアンスのピーター・ダザック代表(本人のツイッターから)

 特に、これまで流出説を「純粋なでたらめ」などと強く批判してきたのがエコヘルスのピーター・ダザック代表だ。同氏を含む27人の科学者は昨年2月、新型コロナが「自然起源ではないことを示唆する陰謀説を強く非難する」公開書簡に署名。これをメディアが繰り返し引用するなど、流出説を否定する根拠とされた。

 ところがその後、この書簡を起草したのはダザック氏であることが米調査研究団体の情報公開請求によって昨年11月に明らかになった。同氏はエコヘルスの職員らに宛てたメールの中で、書簡の内容が「特定の組織や個人からのものであると特定できない」よう注意すべきであり、「単純に一流の科学者たちによる書簡」と見なされる必要があると伝えていた。こうして、自身が主導して作成したことが表に出ないよう図ったわけだ。

 世界保健機関(WHO)が3月、新型コロナの起源を探るために中国に派遣した調査団は、報告書で動物から中間宿主を通じて人に感染したとの仮説が最も有力とし、研究所からの流出説について「極めて可能性が低い」とほぼ否定した。この調査団で米国唯一のメンバーだったのが、ダザック氏だ。WIVと深いつながりを持つ同氏の参加は、調査の信頼を著しく損なうことになった。

 また、最近まで流出説を否定してきたファウチ氏の存在により、議論がタブー視されてきたことも指摘される。

 18年に米外交官がWIVの安全管理体制に問題があるという内容の公電を本国に送っていたことを昨年スクープしたワシントン・ポスト紙コラムニストのジョシュ・ロギン氏は先月、ポッドキャストの番組に出演。研究資金を配分する権限を握る立場のファウチ氏が「機能獲得研究のゴッドファーザー(ボス)であり、ピラミッドの頂上にいる」存在だと言い切った。

 このため、科学者たちは「機能獲得研究は危険性があり、(新型コロナは)研究所から流出した可能性があるが、キャリアや資金を失うことになるから言えない」と漏らしているという。

 ウエイド氏も同様に「学界で宣告された見解に異議を唱えるウイルス学者は、助成金を出す政府機関に助言する同僚のウイルス学者によって、次の助成金申請が却下されるリスクがある」とし、自然発生説に異議を唱えると学者としてのキャリアが脅かされる環境があることを強調している。

 だが、科学者たちは流出説の可能性について公然と議論し始めており、ハーバード大教授ら18人の著名な科学者が、研究所流出説を真剣に検討すべきであると指摘する書簡をサイエンス誌に発表。ファウチ氏自身も、新型コロナの自然発生を「確信していない」と述べ、流出の可能性を含めた調査を支持する立場に転換した。