ロシアのワクチン開発の歴史
日本対外文化協会理事 中澤 孝之
18世紀に天然痘予防接種
ポリオから日本の子供を救う
ロシアの新型コロナウイルス対策本部によれば、9月2日の新規感染者は4952人で、累計100万5000人と、100万人の大台を突破した。米国、ブラジル、インドに次いで4番目に多い。死者は115人増えて累計1万7414人に達した。年初来のロシアでのコロナ禍の拡大は衰える気配がなく、コロナワクチンの早急な開発・製造、接種が待たれていた。
新ワクチンを正式承認
プーチン大統領は8月11日、閣僚とのテレビ会議で、ガマレイ記念国立疫学・微生物学研究センター(以下、ガマレイ・センター)が開発した新型コロナのワクチンが完成し、保健省が同日、新ワクチンは安全だとして、正式承認したと明らかにした。大統領は「私の知る限り、今朝、世界で初めて新型コロナに対するワクチンが承認された」と述べ、ロシア開発のワクチンがコロナ感染拡大に歯止めをかけることに期待を表明した。新ワクチンは人類初の無人人工衛星にちなんで「スプートニクV(5号)」と命名された。
新ワクチンは新型コロナの免疫をもたらし、高い安全性が確認されたとのことで、8月末にも医療、教育関係者への接種を始めるという。来年1月からは一般市民向け接種も実施する予定。このロシア開発のワクチンについては20カ国以上が関心を示しており、外国への輸出も検討する。ワクチン接種は2回に分けて行われ、新型コロナに対する免疫は約2年維持される、と大統領は説明した。ワクチンの臨床試験は国防省の協力を得て、軍医療施設で実施され、大統領の娘の一人もワクチン接種に参加したという。
タス通信によれば、民間製薬会社の幹部は8月12日、新ワクチンの外国への供給価格が、「私たちの試算では、2回分で最低でも10㌦(約1054円)になる」と語り、「少なくとも初回分は比較的高額になる見込みだが、生産量を効率的な大量生産ロットに引き上げることができれば、より安くなる」と付言した。
「スプートニクV」は、ガマレイ・センターとロシア直接投資基金の共同で開発された。同基金のキリル・ドミトリエフ総裁は、ロシアの通信社「スプートニク」に、「ロシアのワクチン開発の歴史はエカテリーナ2世から始まった」「1950年代、ロシア開発のポリオワクチンが日本の多くの子供たちを救った」などと、およそ次のような趣旨の論考を寄稿した。
「ロシア帝国のエカテリーナ2世(1729~96)は1768年、米国で最初の接種が行われる30年前に、ロシアで初めて天然痘の予防接種を受けた。ロシアの研究者ドミトリー・イワノフスキーは1892年、モザイク病に冒されたタバコの葉の研究中にウイルスの異常な能力を発見した。そのタバコの葉から取った液汁を細菌濾過(ろか)器に通しても、その液汁は感染力を保っていたのだ。ウイルスを顕微鏡で初めて観察できるようになったのはその約半世紀後だったが、イワノフスキーの研究によってウイルス学という新しい学問領域が生み出された。
イワノフスキーの発見後、フランス・パリのパスツール研究所で学び、86年にロシアで2番目に狂犬病ワクチン接種機関を開設した研究者のニコライ・ガマレイはじめ、多くの優秀な研究者をロシアは輩出し、ウイルス学とその研究の世界的リーダーとなった。そしてソ連時代に入ってからも、ソ連政府はウイルスやワクチンの研究を支援し続けた。第2次世界大戦後に生まれた人々は全員、ポリオ、結核、ジフテリアのワクチンを必ず接種した。
政治が科学の発見阻害
ロシアが新型コロナのワクチンを大量に生産する計画を発表したのと同時に、国外のメディアや政治家の間で懐疑的な意見が示された。私は欧米メディアのインタビューに応じたが、ロシアのワクチン研究に関する重大な事実を記事に盛り込むことを拒むメディアが多かった。政治が科学の発見を邪魔し、公衆衛生が危機にさらされ、ロシアが科学界のリーダーシップを発揮する場面で、国際間の不信感に直面したのはこれが初めではない。
1950年代の日本でポリオが流行した際には、ポリオで命を落とした子供の母親らが、政治的な理由からソ連製のポリオワクチンの輸入を禁止した日本政府に反発し、デモを行った。その結果、ワクチンの輸入禁止措置は解かれ、デモ隊は目標を達成した。これにより、2000万人以上の日本の子供たちの命が救われた」
(なかざわ・たかゆき)