米軍那覇軍港移設をめぐり革新系与党が分裂も

 米軍那覇軍港港湾施設(那覇軍港)の移設をめぐり、浦添市の松本哲治市長はこのほど、県と那覇市が提案していた日米両政府の合意に基づく浦添埠頭(ふとう)の北側海域に移設する案の受け入れを表明した。ただ、玉城デニー知事を支える革新系与党は移設反対派が過半数を占めており、軍港移設が与党分裂の火種になる可能性がある。(沖縄支局・豊田 剛)


米軍那覇軍港移設をめぐり革新系与党が分裂も

那覇軍港移設計画

 那覇軍港の浦添埠頭地区への移設が具体的に決まったのは1996年、在日米軍再編に関するSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)最終報告による。

 該当する自治体レベルでは2001年に浦添市長に当選した儀間光男氏が振興整備などを条件に移設の受け入れを表明。当時、那覇市長を務めていた翁長雄志前知事も浦添移設を推進しており、03年には政府と沖縄県、那覇市、浦添市で構成する「那覇港湾施設に関する協議会」(移設協議会)で、現行案と呼ばれる港湾北側の海域に軍港を配置する案が合意された。

 移設の雲行きが怪しくなったのは13年の浦添市長選から。もともと軍港容認派だった松本氏は、翁長那覇市長やその影響を受けた自民党県連が「軍港返還と浦添移設を切り離す」と方針転換したことを受けて、軍港移設反対を公約に掲げた。

 「『浦添への軍港移設を前提とした西海岸開発計画』を推進してきた関係者が、明かな方針転換を決断したおかげで、私たち浦添市でもこれまで県全体の発展を考えて受け入れてきた『苦渋の選択』でもある那覇軍港受け入れをする必要がなくなりました」

 松本氏は市長選後の市民説明会でこう述べた。その後、仲井真氏や翁長氏が再び浦添移設推進に転じたことで、松本氏も15年に軍港受け入れを表明したが、その際、軍港の位置をこれまでの北側ではなく、南側に移動させる「浦添市案」を打ち出した。沿岸部のリゾート開発を進める上で、観光客誘致に影響が出ないようにしたいとの考えからだった。

 松本氏はその後、県や那覇市に対して繰り返し協議の場を求めた。ところが、県と那覇市は民間の貨物船やクルーズ船の密集を避けたいという理由から現行の北側案にこだわり、3者の意見の一致は図られないまま約7年が過ぎ去ってしまった。

浦添市が政府案受け入れ、沖縄県・那覇市・浦添市で合意

 状況が急展開したのは8月4日、沖縄防衛局を通じて南側案は技術的に困難とする日本政府と米軍の見解が伝えられたからだ。

米軍那覇軍港移設をめぐり革新系与党が分裂も

那覇軍港の浦添移設で合意した(左から)城間幹子那覇市長、玉城デニー知事、松本哲治浦添市長=8月18日、沖縄県庁(豊田 剛撮影)

 松本氏は18日、沖縄県庁で玉城知事、城間幹子那覇市長と会談し、軍港移設の北側案で同意する考えを伝えた。会談後、記者団の取材に「決断は断腸の思い」とした上で、「県全体の発展のためにはこれ以上の足踏みは許されない」と北側案受け入れの理由を述べた。

玉城知事、是非を明言せず、共産・社民の反対で苦慮

 翁長氏の後継の玉城知事は元来、浦添移設を推進する立場だ。松本氏の決断について「重く受け止める」と述べた。しかしながら、移設の是非を問われると「軍港の位置や形状は、移設協議会で検討されるもの」「推移を見守りたい」と、明確な評価を避けた。

 玉城氏がトーンダウンしているのは、知事の最大の支持基盤である社民と共産が軍港移設に強く反対しているためだ。県議会の両会派は与党内の多数を占めており、軍港移設が与党分裂の火種になりかねない。

「辺野古」との整合性追及は避けられず、歯切れの悪さ残る

 普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古沖への移設も、軍港と同様に在日米軍の整理縮小・再編に伴うものだ。玉城知事は3者会談後、記者らに辺野古移設との整合性について説明を求められると、軍港移設は「沖縄の経済の進展性を含めた計画」であり、民港整備を含め自然環境に配慮した形で進める考えを示した。

 一方、辺野古移設については「貴重な生物多様性のある海域で、軟弱地盤や膨大な費用と長い年月がかかる問題がある。県民が反対の意思を示している中で進められている」と指摘。「これら二つは相反するものだ」と述べたものの、歯切れの悪さだけが残った。

 浦添市が北側案で譲歩したことを受け、県と那覇市と浦添市の議員が参加する議会で、軍港の早期移設実現を国や県に求める要請決議を賛成多数で可決した。

 松本氏は、軍港移設について「今後、市民に丁寧に説明する場を設けたい」と述べている。一方、軍港移設の是非について明言を避け続けている玉城知事は、県議会で二つの米軍施設の移設の矛盾を追及されることは避けられない見通しだ。


= メ モ = 那覇軍港移設問題

 米軍那覇港湾施設(那覇軍港)は、米四軍(陸軍、海軍、空軍、海兵隊)の貨物の積み降ろしや、船舶修理場、倉庫などで使用されてきた。那覇空港の北東に位置し、総面積は約55・8㌶。

 1974年、日米安保協議委員会(2プラス2)が移設を条件に全面返還に合意したことを受け、95年の日米合同委員会で那覇港の浦添埠頭地区を移設先とすることを決定した。

 返還時期について日米両政府は13年、県内で代替施設が提供され次第、返還時期を「28年度またはその後」とすることで合意した。移設・返還は36年度以降になる公算が大きい。