NYTはユダヤの新聞か

佐藤 唯行獨協大学教授 佐藤 唯行

読者の3割強がユダヤ系
70年代半ばから「色」隠さず

 「ニューヨーク・タイムズ」(NYT)は米国民の中でも指導的立場の人々が情報源として読む新聞であるため、アメリカで「最も影響力を持つ新聞」と評されている。同時に「ユダヤの影響力が強い新聞」と考える米国民も多い。果たして真相はどうなのだろうか。この点を計量的に解明すベく過去の紙面を網羅的に調べたのがコロンビア大学ジャーナリズム大学院の教授アリ・ゴールドマンだ。その調査結果によれば、同紙は1970年から2001年までの間、1万5000点の宗教関連の記事を掲載しているが、そのうちの2000、つまり全体の13・3%がユダヤ教関連の記事なのだ。

 全米総人口に占めるユダヤ人の割合が2%弱にすぎぬ事実を想起すれば、ユダヤ教関連報道の突出ぶりが分かるというものだ。そうした記事を個別に読めば、ユダヤ教祝日に好まれる食べ物の調理法だったり、多数派社会への同化を求める宗教的少数派としての苦労話だったり、ユダヤ社会のインサイダーの視点で叙述された記事が多いことに気付く。要するにユダヤ社会の部内者でないとあまり関心を持たぬ記事が多いということだ。

 同紙の幹部たちもその事実を素直に認めている。しかし彼らに言わせると、それは「ニューヨーク・タイムズ」が「ユダヤの新聞」であるからではなく、同紙の読者層がそうした記事に関心を抱いているからという説明なのだ。ちなみに読者調査によると読者層の3分の1をユダヤ人が占めているという事実が判明しているのだ。

 次に社史を遡(さかのぼ)ってみよう。もともとキリスト教徒が創業した少部数の弱小新聞「ニューヨーク・タイムズ」を1896年に買収したのがドイツ系ユダヤ移民のアドルフ・オックスだった。買収を機に「ユダヤが所有・経営する新聞」となったわけだ。同紙を全米屈指の高級紙(クオリティーペイパー)に育て上げたのはオックスの功績と言えよう。

 オックス亡き後は娘婿のサルツバーガーが継承し、今日に至るまで、所有・経営権はサルツバーガー一族の手に代々継承されてきた。彼らもオックス同様ドイツ系ユダヤ人であった。初期の読者層はプロテスタントのエリート白人だった。新来の貧しい移民として、多くの者が生活基盤の確立途上にあった在米ユダヤ社会の中には高級紙の読者層は十分育っていなかったからである。

 同紙がユダヤ系の読者層を獲得するのは1930年代になってからだ。この時期、高等教育を修了し専門職に従事する高学歴エリート集団が在米ユダヤ社会の中にようやく大量に出現したからだ。しかし、この頃の同紙は「所有者はユダヤだが編集はプロテスタントが行っている」と陰口をたたかれるほど、編集部門から同族であるユダヤ系を排除していたのだ。

 今日と比べ、米社会における反ユダヤ主義が大層強く、ユダヤ人の立場も不安定だったこの時代、社主であるサルツバーガー家は同紙が「ユダヤの新聞」と見なされることを極力回避していたのだ。ユダヤ系の記者を特派員としてイスラエルに派遣することさえ長らく及び腰であった。ユダヤ系の特派員では公平な中東情勢報道が担保できぬというのが表向きに挙げられた理由であった。さらに歴代の社主たちはユダヤ系を編集部門トップの地位に昇進させることを頑(かたく)なに拒み続けてきた。「新聞社の顔」として世の注目を浴びるポストだったからだ。

 こうしたタブーが撤廃されるのは70年代になってからだ。76年、編集担当専務のポストにユダヤ教徒のエイブラハム・ローゼンソールが任命されたのであった。彼はこの職位に就いた最初のユダヤ人となり、以来、今日に至るまで代々ユダヤ人が継承している。それでは何故、70年代半ばになり、これまで排除に努めてきたユダヤ色を「ニューヨーク・タイムズ」は隠すことをやめるようになったのか。

 その理由は米社会全体の変化と無関係ではない。長らく続いた反ユダヤ主義の脅威がこの頃、目に見える形で終息していったからだ。「ユダヤの新聞」と見なされても、それほどのダメージとは見なされなくなったからだ。先に述べた人事面での方針変化は米社会におけるユダヤ人たちの自信の表れと言えよう。

 今日では同紙の経営と編集部門の幹部はユダヤ人がそのほとんどを占め、従業員全体でも4分の1を占めている。今日の「ニューヨーク・タイムズ」とは彼らが読者の3分の1を占めるリベラルなユダヤ系読者層の関心に応えるべく、他紙よりもユダヤ・イスラエル関連の報道に力点を置いた新聞と言えよう。

 またその報道姿勢については次のように評価できよう。

 すなわち、イスラエルを愛しているが故に、イスラエルという国は常に正しくあってほしい。これがリベラル派ユダヤ人の思いだとすれば、同紙はその思いに応えるべくイスラエルに対しては決して甘くない客観的な報道を行ってきたとは言えまいか。それ故にこそ多くの非ユダヤ系読者からも支持されてきたと言えよう。

(さとう・ただゆき)