米大統領選揺るがす情報漏洩

アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき

加瀬 みき露が関与?トランプ氏が利用
選挙結果への不信感拡大

 大企業や政府のコンピューターがハッキングされたというのはニュースにならないほど数が増えている。民間IT企業の知的所有権から政府の軍事機密まであらゆるものがサイバー攻撃の対象となっている。

 しかし大統領選挙を直前に迎えた今のアメリカでは、ハッキング故に選挙結果は信じられないという不信感が広まり、民主主義制度を揺るがせ、選挙後大きな政治、社会不安を招くことが懸念される。

 コリン・パウエル元国務長官のEメールがハッキングされ、普段は礼儀正しいパウエル氏の両大統領候補に対する本音が明らかになった。トランプ氏を「国の恥」と称し、深い軽蔑を抱いていること。民主党への多額献金者ジェフリー・リーズ氏との交信ではリーズ氏が、ヒラリー・クリントン氏はオバマ大統領に対し憎しみと羨望(せんぼう)を抱いている、オバマ大統領の側近たちはクリントン氏が敗北するのを歓迎すると伝えている。パウエル氏は、クリントン氏の個人メール活用法は違法であり、自分の場合とは違うにもかかわらず、言い訳に利用されていることに深い怒りを抱いているのも明らかになった。

アリゾナ州の上院議員選出に向けた共和党の予備選では有権者登録リストの盗難がどうにか防がれたが、イリノイ州では20万人余りの有権者情報が盗まれ、投票日の有権者リストの信憑(しんぴょう)性が問われることになった。

 民主党大会の前日には、民主党全国委員会(DNC)のコンピューターが約5日間にわたってハッキングされ、Eメールやさまざまな資料が盗まれ、選挙に向けたデータ分析ブログラムに侵入されたことが判明し、DNCの会長が引責辞任を余儀なくされた。DNCやクリントン陣営が活用する有権者データが盗まれたのかははっきりしないが、DNCのスタッフがいかにバーニー・サンダース氏の足を引っ張るかを協議していたのが暴露された。

 連邦捜査局(FBI)はアリゾナ州やイリノイ州、そしてDNCのハッキングもロシアの諜報(ちょうほう)機関によるものとみなしている。そしてドナルド・トランプ共和党大統領候補は、DNCのハッキングが明らかになると間髪を入れずに、「ロシアよ、クリントンの個人サーバーから『消えた』3万件のメールを探してくれ」と訴えた。クリントン氏の最大の弱点は、有権者がクリントン氏を信用できないことである。うそつきやごまかしという形容はクリントン夫妻につきまとい、決して消えることがない。国務長官時代に使用した個人サーバーの活用法がこの不信感をさらに深めており、それを振り払うためにクリントン陣営があらゆる手段を講じているのは、パウエル氏のメールからも明らかである。トランプ氏の発言は何とも巧妙である。

 このトランプ氏は早くから選挙は八百長だ、もし自分が負けるようなことがあれば、それは不正が働く場合だけ、と有権者に訴えてきている。アメリカの大統領選挙は完璧な実績を誇るわけではない。1960年の大統領選挙でジョン・F・ケネディが選出されたが、イリノイ州とテキサス州での不正がなければ、リチャード・ニクソンだった可能性が高いとされている。2000年のジョージ・ブッシュ対アル・ゴアの戦いは、フロリダ州で決まったが、民主党支持者の多くが本当はゴア氏が勝者だったと信じている。

 本大統領選挙ではトランプ氏やサンダース氏は今の政治や経済はねじ曲がっている、確立した制度や組織は不正や不公平、ウソが充満していると現状不信・破壊を強調し、多くの熱狂的支持を集めてきた。

 ロシア政府がハッキングに関係しているのかを百パーセント証明することはできないが、ロシアが旧東欧諸国に向けたサイバー攻撃を行っていること、また偽情報を流したり、偽造、メディアを操作するのは、ソ連国家保安委員会(KGB)の伝統的手段であり、プーチン露大統領がKGB出身であるのは事実である。

 そしてトランプ氏はプーチン氏への尊敬を隠さない。「我々の間には何の関係もない」というものの、クリントン陣営や民主党を狙ったハッキングで得た情報の公開内容はトランプ氏に有利であり、タイミングの上手さと合わせ、まるでプーチン氏とトランプ氏の二人三脚の様相を呈している。

 本当に二人が手を組んでいるのか、プーチン氏やロシアがアメリカの大統領選挙を操作しようとしているのかは既に二次的な問題になっている。これまでになく醜い選挙戦の中、有権者の怒りや暴言は危険な度合いに達している。トランプ氏が負ければトランプ氏の支持者たちの多くが、不正があったと信じるだろう。一方トランプ氏が大統領になれば、クリントン氏の支持者ばかりでなくトランプ氏を支持しない人々の多くが、トランプ氏やロシアによる何らかの不正行為により、有権者の投票行動や有権者リストが操作されたと思うであろう。

 いずれの結果になっても双方の支持者が歩み寄る可能性は悲しいほどに低い。一方、暴力という形で怒りや勝者のおごりが爆発する可能性は高い。アメリカを分断する亀裂が深まり、選挙制度という民主主義の根幹を揺るがし、自由民主主義の指導国アメリカが大混乱に陥る恐れがある。

(かせ・みき)