トランプ氏が晒したアメリカ
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
差別や怒り抱え自己中心
国民の気持ち代弁した暴言
アメリカの大統領選挙戦は残すところ2カ月余りとなったが、ここにきて共和党候補ドナルド・トランプ氏は民主党候補ヒラリー・クリントン氏に日に日に支持率で差をつけられ、トランプ大統領誕生の可能性は遠のきつつあるようにみえる。同盟国には歓迎すべき傾向である。しかし、トランプ氏が敗退すれば、トランプ以前の良きアメリカが戻ると期待すべきではない。
トランプ氏がここまでくるとはアメリカの政治家も何度も大統領選挙を経験している専門家たちも全く予期していなかった。政治家としての経験も国家の運命を担うようなポストに就く人格も持たない不動産王で人気テレビ番組を司会するセレブは戦線からすぐに消えるはずであった。
アメリカの大統領選挙戦は非常に長期間に及ぶ。飽き飽きするが、その間に各候補の長所短所がはっきりするばかりか、アメリカ人の心を探る絶好の機会でもある。トランプ氏が予備選で共和党有権者ばかりでなく、これまで選挙に無関心であった無党派層や一部の民主党支持者の票も獲得したのは、外交や経済政策には音痴であっても国のムードを適切につかみ、多くの人々の気持ちを代弁しているからであるという事実に目を向けざるを得ない。
トランプ氏にはいわゆる選挙戦術はないが、あえて言えば暴言を吐くことで伝統的メディアの注目を浴び、ソーシャルメディア空間をにぎわせることで爆発的な効果を安く生み続けることである。注目を浴び続ける「暴言」の対象は、移民とムスリムが中心であるが、ロナルド・ラポート他によれば(ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス2016年6月号)、共和党支持者および無党派を対象に調査したところ、トランプ支持者の88%が「ムスリムのアメリカ入国を拒む」ことに賛同すると答えた。「メキシコとの国境に壁を設ける」には95%が、「非合法移民を逮捕し国外追放する」にも95%が賛同する。さらに他の共和党候補者の支持者でも、それぞれ63%、80%、86%が発言を支持している。
この調査は2月に行われたもので、この時点では共和党有権者の3分の2がトランプ氏以外の候補者を支持していた。にもかかわらずトランプ氏の「政策」がいかに高い支持を得ていたかが分かる。トランプ氏の暴言は女性や黒人、身体障害者にも及んだが、どれも大きな話題を呼び、非難もトランプ氏にとっての宣伝効果でしかなかった。
トランプ氏にとって同盟国は価値が薄いどころか厄介なものである。日本に対しては在日米軍の費用を全て払え、何故アメリカが日本を守らなくてはならないのだ、自分で核兵器でも製造して自国を防衛しろ、という。北大西洋条約機構(NATO)の加盟国が攻撃されたら、まずはその国がどれだけこれまで貢献してきたか、アメリカに対する義務をどれだけ果たしてきたかを検討し、それによって態度を決めると述べる。
これまで世界の平和と安全の要であったNATOや日米安保ばかりでなく、自由貿易協定も含めあらゆる条約をアメリカにとって望ましいか見直すという。
トランプ氏のスローガン、「アメリカを再び偉大に」が示すようにアメリカは偉大な国ではなくなってしまったと感じる国民は多い。クリントン氏はアメリカの素晴らしさを強調するが、冷戦終結直後のように圧倒的軍事力、経済力、国際政治力に他国が慄くわけではない。ロシアや中国はアメリカを恐れていないかのようであるばかりか、米大統領は国際舞台での主役の座を奪われた感がある。
経済・貿易面では同じルールの下で競争せざるを得ない。他国に負担ばかり負わされているのに、不公平である。「アメリカ・ファースト」であるべきだ。トランプ氏の発言は、アメリカが「世界」と思っている人々、海の向こうの小さな国の人たちを守ったり、アメリカを束縛する国際機関や条約に従うべきでないと信じる人々の気持ちを代弁している。そこには他国との協力の上にこそアメリカの繁栄があることを認める余裕はない。
トランプ氏を支持するのは、白人中産階級で失業中あるいはろくな仕事に就けない、学歴の低い人々ばかりでない。富裕層や高学歴の専門家、歴代の政権で活躍してきた人々の中にも多くの支持者がいる。それは多くの人々がトランプ氏の戦車のように敵を踏みつぶして進む強さや「暴言」に、彼らが描く良き時代のアメリカの再現を重ねるからである。さまざまな不平等や世の中に取り残されたやるせなさへの怒りは支持政党に関係ない。これまで口にすることをはばかられた差別やゆがんだ怒りを、多くの人々が抱えていることも明らかになり、注目を浴びるための事実を曲げた攻撃の繰り返しが当たり前になった。
差別や格差が広がり、自己中心的で、他国に問題をなすりつけ、ナンバーワンとして尊敬されなければ気が済まず、同盟国は厄介なものでしかないとみなすわがままなアメリカをトランプ氏が晒した。11月の大統領選挙で同氏は大敗するかもしれない。しかし、トランプ氏が晒したアメリカが消えるわけではない。
(かせ・みき)