アップル社とFBIの攻防
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
テロ捜査に暗号化の壁
日用ハイテク品に潜む脅威
「アップル社の製品をボイコットしろ!」。共和党大統領候補のドナルド・トランプがアップル社対アメリカ連邦捜査局(FBI)の戦いに口をはさんだ。典型的ポピュリストのトランプは、市民が関心を抱くテーマを利用するのが上手い。メキシコからの不法移民を防ぐために塀を設ける、ムスリムを入国させないなど極端な発言で注目を浴び、支持も得てきたが、アップル社とFBIの攻防がさらなるニュースとなったところで、アップル社に焦点を当てた。
アイフォンからアイチューン、マッククラウドとアップル社の製品は大変な人気がある。特に若者はアップル社製品なしの生活はいまや考えられないであろう。ポピュリストであり小さな政府を推奨するトランプが政府の肩を持ちアップル社を非難するのは、アップル社が政府に協力しないことで、国民の安全保障を脅かしている、という理屈である。他の共和党大統領候補たちも、トランプほど激しい言葉は使わないものの、アップル社を批判している。
アップル社対FBIの戦いは、激しい大統領選挙で有権者の支持を得るために利用されているが、突然死したアントニン・スカリア最高裁判事の後任人事と合わせ、大統領を選出する以上にその結果は長期間にわたり大きくアメリカの政治や社会を変えることになり、世界中にその影響が波及するような重要な問題である。
昨年12月、カリフォルニア州サンバーナディーノでパキスタン系アメリカ人のサイード・リズワン・ファルークとパキスタン生まれの妻が福祉施設で銃を乱射し、14人を殺害するというテロ事件を起こした。事件はムスリムや移民への不信とホームグローンテロへの恐怖が重なり、直前に起きたパリでのテロ事件と合わせ、アメリカ中を震撼させた。
政府は、犯人カップルがどのような過程で過激化したのか、いかに計画を練り、協力者が何人どこにいたのか、いわゆる「イスラム国」(IS)のメンバーと連絡を取っていたのか、あるいは支持を受けていたのか、などを必死に探っている。パリの事件の首謀者の一人の逮捕につながったのはテロ現場の一つの近くに捨てられていたスマートフォンであった。サンバーナディーノ事件でも、犯人2人のスマートフォンの記録は重要な参考資料であるが、FBIはいまだに記録の一部を読めないでいる。
最新のアイフォンなどは通信を自動的に暗号化するようになっており、通信途中で傍受しても中身は暗号化しており、またその記録を読もうとしても持ち主のパスワードなしには読めない。FBIはアップル社にパスワード解読のキーを提供するよう求めたが、アップル社は、そのようなキーは存在せず、持ち主が設定したパスワードを知るすべはないと協力を拒んだ。
FBIの高性能コンピューターは6ケタの数字のパスワードであれば22時間あまりで解くといわれるが、アップル社製品のパスワードのように数字と文字の組み合わせであると10年かかるとされる。さらに最新のアイフォンなどでは、誤ったパスワードを10回入力すると、製品内の記録がすべて消えるようになっている。FBIは地方裁判所に事件を持ち込み、カリフォルニア州リバーサイドの治安判事は、アップル社にパスワード検索が記録を消滅させる装置を無効化するよう求めた。しかし、アップル社は無効化する手段はないとしている。
通信の暗号化はアップル社だけでなく広く普及している。グーグルなども通信を暗号化し、テレグラムやワッツアップなど携帯電話の通信を暗号化させるアプリケーションは広く使用されている。個人からすれば、個人情報の保護であるが、治安・安全保障という点からは、貴重な情報が読めないという「ゴーイング・ダーク」という情報収集を妨げる状態となる。
「ゴーイング・ダーク」は数年前からアルカイダやいわゆるISなどのテロリストたちの通信を傍受しても解読できないことが多くなるに従い、アメリカやイギリスの諜報機関の中で大きな問題となっていた。通信記録の保存期間や通信記録へのアクセスに関し民間企業と政府の間で激しい戦いが続いているが、その中でも暗号化された通信の解読は安全保障、政府の民間企業への介入、人権といったさまざまな面から非常に複雑な問題となっている。
アップル社のティム・クック社長は、「裏から」の解読技術はなく、もしそのような技術を開発すれば、それはテロリストに利用され、逆に政府や治安機関の通信を読まれることになると述べている。さらに安全保障や治安の専門家が、「ゴーイング・ダーク」以上に問題とするのは「インターネット・オブ・シングス」、つまり遠距離から冷暖房やワイファイ、テレビなどの機器を操作できる技術の悪用であると述べる。こうした日常品の通信は暗号化もされておらず、情報を盗んだり、情報操作は簡単にできる。
スマートフォンから通信機能のある家電までが個人情報や生命の安全に決定的な影響を与えられる時代、政府と民間企業の関係、高度な機密情報から一般市民の日常生活に関する情報の扱い、ハイテク企業の株主や利用者への責任と企業市民としての責任などのバランスが改めて問われている。
(かせ・みき)





