キャンセル文化 異論封じる風潮が蔓延

決戦まで2カ月―米大統領選の焦点(3)

 「私は自分の身に起きた事に名前があることを知った。それは『キャンセルされた』というものだ」

8月25日、米共和党全国大会で演説した18歳のニック・サンドマンさん(UPI)

8月25日、米共和党全国大会で演説した18歳のニック・サンドマンさん(UPI)

 先月下旬の米共和党全国大会で、18歳のニック・サンドマンさんは、昨年1月、首都ワシントンで妊娠中絶反対デモ参加後に起きた短時間の出来事が「人生を永遠に変えた」と語った。

 当時、高校生だったサンドマンさんと、歌いながら太鼓を叩(たた)く先住民の長老がリンカーン記念堂前で、向き合う動画が話題となった。

 その時笑みを浮かべていたサンドマンさんやその周りにいた仲間の学生が先住民の男性を取り囲んで侮辱したとして、ソーシャルメディアで「人種差別主義者だ」などと非難を浴びた。多くのメディアもこの動画をもとに、サンドマンさんらが「嫌がらせをした」などと悪者扱いした。

 バッシングは過熱し、サンドマンさんら生徒は殺害脅迫も受け、通っていたケンタッキー州のカトリック系高校は一時休校に追い込まれる異常事態となった。

 しかし、後にその前後の様子なども映した複数の動画が浮上。これにより、先住民の男性とその仲間がサンドマンさんのいた集団に自ら入り、挑発するように太鼓をサンドマンさんの顔に近づけていたことが分かった。嫌がらせを受けているように見えるのは、むしろサンドマンさんだったのだ。

 サンドマンさんは共和党大会の演説で、当時自身がトランプ大統領の選挙スローガンである「米国を再び偉大に」と書かれた赤い帽子を被(かぶ)っていたためにメディアや左派勢力の標的になったとし、「私は、キャンセルされない」とこうした圧力に屈しない考えを強調。演説後にはその意志を改めて示すため、その帽子をしっかりと被ってみせた。

 米国では今、ある人物の言動についてネット上などで糾弾し、その地位や名誉を失わせる「キャンセル・カルチャー」と呼ばれる風潮が蔓延(まんえん)している。黒人差別問題をめぐって「黒人の命は大切」運動が広がる中、これが一段と悪化している。

 6月にはマサチューセッツ大学の学部長が「黒人の命も大事だが、すべての人の命も大事」とメールに書いたことで、生徒らから「指導者にふさわしくない」と非難を浴び、その後解雇された。バーモント州の中学校校長も「黒人の命を擁護する必要性を理解するが、法執行機関職員(の命)はどうなのか?」とフェイスブックに投稿したことで同様に解雇された。

 この動きはメディア界にも広がり、ニューヨーク・タイムズ紙は、抗議デモの一部が暴徒化したことをめぐり「軍隊を派遣せよ」と題した共和党上院議員の寄稿を掲載し、論説責任者が辞任に追い込まれた。ペンシルベニア州の有力紙でも、「建物も大事」という見出しの記事を掲載し、最高編集責任者が解任された。

 こうした事態に、保守派だけでなくリベラル派の知識人にも危機感は広がっている。言語学者ノーム・チョムスキー氏ら150人以上の著名人が米誌に共同書簡を発表し、「リベラルな社会の生命線である情報とアイデアの自由な交換が、ますます困難になっている」と指摘し、言論の自由が脅かされていると警告した。

 トランプ大統領は7月上旬、サウスダコタ州ラシュモア山での演説でキャンセル・カルチャーについて、「異論を唱える者は誰でも完全に屈服するよう要求する、まさに全体主義そのものだ」と強く非難した。

 一方、民主党候補のバイデン前副大統領は、こうした風潮に対して強いメッセージを打ち出していない。急進左派のオカシオコルテス下院議員は「抗議を受け、責任を取らされただけ」などとし、問題視しない考えを示している。

 バイデン氏の「沈黙」は、支持基盤の一部である急進左派への過度の配慮を印象付けている。

(ワシントン・山崎洋介)