「アラビアのロレンス」追想
鮮やかなアカバの岩山
乾燥し存在分かつ砂漠の美
12月のはじめ、わたしはイスラエルのテルアビブからエイラートへ、そこからヨルダンのアカバをへてペトラ遺跡へ、という旅をしていた。しかし、目的はただ一つ、「アラビアのロレンス」のアカバを見ることだった。
「アラビアのロレンス」という映画が製作されたのは1962年だが、日本で上映された(字幕版)のはたぶん1964年だった。わたしがそれを見たのは、大学1年生になったばかりのころである。その後、リバイバル上映で1回、テレビ放映で1回、ビデオ版で1回、都合4回ほど見ている。見るたびに、違う場面が印象に残る。
ただ、何度見ても、砂漠は美しいなあ、という思いは同じである。映画冒頭の、砂漠が刻々と色を変え、形のちがう砂丘があらわれてくるところは、いつでも息をのむ。しかし、そんな乾いた砂漠の風景が延々とつづいたあとで、ロレンスが海を目にして、「アカバだ」と叫ぶのである。
第一次世界大戦時にイギリスの情報将校だったロレンスは、ドイツと同盟するだろうオスマン・トルコ帝国支配下でのアラブ人の反乱・独立運動を支援すべく、エジプトのカイロからシナイ半島の東、アカバへと砂漠を横断するのである。アカバは『聖書』にも名まえの出てくる、古代からの交易都市で、紅海(アカバ湾)に面している。そこからは、シリアのダマスカス、ヨルダンのアンマン、イラクのバグダッド、イスラエルのエルサレムにも砂漠のうえを道が通じている。
この、乾いた砂漠を背景にしたヒーローの栄光と挫折の映画があまりに印象的だったせいで、わたしは初めての海外旅行の地に、サハラ砂漠を選んだ。1979年、いまから35年まえである。
それよりずっとまえ、高校生のフルブライト留学生試験に受かってアメリカに行くことになっていたら、わたしの人生はよほど違ったものになっていたかもしれない。そのときは高校の先生から、「おまえの友人の誰々は両親がいない。今回のアメリカ留学は彼に譲ってやってくれ」といわれて、留学をとりやめたのだった。
ともかく、わたしが初めて行った海外の地は、フランス経由のサハラ砂漠(チュニジア)だったのである。その砂漠の地中海寄りに立ったカルタゴのハンニバル・ホテルで小説を読んでいたら、ベルギー人の若い女性から「何の本を読んでいるのか」と問われた。「ガッサン・カナファーニーの『ハィファに戻って』」と答えると、「それはパレスチナの作家ではないか。わたしたちベルギー人はイスラエルを作り、イスラエル支持だが、日本はパレスチナ支持なのか」と、語気荒く質問された。そこで仕方なく、「日本政府はイスラエル支持だが、国民はどちらかというとイスラエルに土地を奪われたアラブ人のパレスチナに同情的だ」と答えたのだった。
そんな私的な想い出もあってわたしは、イスラエルというユダヤ人国家(1948年建国)にはあまり行きたくない、といったわだかまりの感情があった。イスラエルが1967年にヨルダン領の東エルサレムを占領・併合したという青年時代の辛い記憶もあった。
それでも、今回イスラエルに行ってみようとおもったのは、その一番南に位置するエイラートが紅海のアカバ湾に面し、そこからヨルダンのアカバまでバスで30分ほどで辿りつけるからだった。ただ、中間にあるイミグレーションの越境審査には1時間半もかかった。イスラエルはやはり「ハリネズミ」のような、いつも外敵に身構えていないといけない国家なのだな、と改めておもった。
エイラートはイスラエルの、アカバはヨルダンの観光・保養都市だが、海辺まで砂漠とベージュ色の岩山が迫っていることは同じだった。どちらも、年間三、四十ミリメートルぐらいしか雨が降らない。日本が2000ミリメートルの雨量に達するのと比較にならない。大気の乾燥ぶりも鮮やかで、近くにある1000メートル以上の岩山は、その頂上まで稜線がくっきりと見渡せた。
サハラ砂漠のベドウィンは20キロメートル先まで見通せると聞いたが、あれは大気中に水分のない砂漠の風土でこそ顕著な現象なのだった。その天と地、そして動かない砂漠と動く人間やラクダが明確に存在を分かたれる「砂の文明」と、自然と人間とが一体化するような東アジアの「泥の文明」との違いが、改めておもわれた。
アカバは「アラビアのロレンス」の活躍もあって、ほんのこの間までイギリス領となっていた。これは考えようによると、イギリス帝国主義の「侵略」であり、ロレンスはその「侵略」の先兵だったことになる。それをあんなロマンチシズムと悲劇の映画にしたのは、ロレンス役のピーター・オトゥールの「白い肌」と「碧眼」のせいだったにちがいない。
そんな思いにひたって、わたしはその地から「いま、ロレンスのアカバに来ている」と何人かの友人に絵葉書を出した。この絵葉書が日本に着いたのと、ピーター・オトゥールの死(12月14日)が報じられたのとは、ほぼ同時だった。
(まつもと・けんいち)