IS駆逐後のシリア情勢
内戦終結へ妥協点模索
関係深いロシアがどう協力
ロシアゲート疑惑、人種差別問題、最側近の一人のバノン氏の更迭と、トランプ米大統領の問題噴出に比し、プーチン・ロシア大統領は『ニューズウィーク』誌8月29日号に特集されるように、意気盛んな様子である。
国際社会を揺るがす中東で、シリアとイラクにおいてIS(自称イスラム国)の敗退が実現しようとしている。ここでは、シリアを中心にロシアを絡め、反政府勢力支持の米欧とは違った観点から見ていきたい。
第1次世界大戦でオスマン帝国が敗れ、シリアはフランスの委任統治領となった。フランスは、植民地統治の原則「分割して支配せよ」を実践、少数宗派であり、日陰者扱いされていたアラウィ派(人口の約1割)に行政、治安などを委ねた。
軍事面では士官学校が設立され、貧しいアラウィ派の青年が志を抱いて入学した。ハーフェズ・アサドもその一人であった。彼は戦闘機のパイロットになり、ソ連にも留学している。官僚や軍人、技術者などの優秀な若者がソ連に留学、ある者はロシア人女性と結婚、帰国する。彼女らは2~3万人に達し、ロシアとの関係がさらに密接になるとともに、ロシアに確度の高いシリア情勢をもたらしたのもこの関係があったからである。
アラウィ派は、宗派を表に出さず、世俗的な政党のバース党員として政治に参加する。
1970年、H・アサド国防相が無血革命で大統領に就任、世俗的かつ社会主義的政策を行った。アラウィ派を中心に、多数を占めるスンニ派(7割)の有力者や商人の一部、少数派のキリスト教徒(1割)を能力に応じ参加させ、宗派を超えて統治に当たった。
後継者として長男を考え、革命防衛隊司令官に任じたりしていた。だが、突然の車両事故でその夢は消え、政治とは縁のない歯科医を選択していた英国留学中の次男バシャール・アサドを帰国させ、軍にも勤務させ、帝王学教育を施していた。6年が経(た)ち、父が死亡した。後継者選びになり、副首相兼国防相(スンニ派)が推したB・アサドが跡を継いだ。
シリア社会はヴェドウィン的性格が非常に強い。彼はアラブの作法を身に付けており、部族の長老を重んじ、対面した時に自ら出迎え、着席時、敬意を表して足を組まないなど、謙虚に接している。
留学時親しくなった英国居住のスンニ派の女性を、大統領に就任直後、妻に迎えている。彼の弟の妻もスンニ派である。アラウィ派は、本来同族結婚である。だが、統治に当たって宗派を乗り越え、柔軟性をもって、スンニ派とも共に政治に当たる姿勢を示している。
アラブの春がシリアに押し寄せた際、最初はインターネット規制の解禁など柔軟な対処を取っていたが、デモ隊が発砲するなど武力行動を取ってきたので、厳しいデモ隊鎮圧になった。某所で起こったデモ隊を、英仏の大使が出向いて接触、あるいは各地の騒動に外国からの働き掛け、資金・武器を供与するなど、西側ではあまり報道されないこともあった。他の中東諸国では政権が崩壊したが、シリアのみは内戦を続けながらも権力を維持している。
国外難民が500万人弱というのも事実である。また、政府軍が反政府勢力を弾圧している。一方、西側が支援している「穏健派反政府勢力」が、捕虜にした政府軍兵士を斬首、その残虐な映像も事実である。
スンニ派の多い大商業都市アレッポの戦闘では、反政府勢力を逃がしてやる非戦闘回廊を設置、バスまで準備してやっている。宣伝色の強い行為であるが、余裕があればそれなりの配慮もしている。ただ、西側がこのような報道をあまりしていない。
オバマ前米大統領時代から、米国はシリア政府の許可なしに、国際法に違反する空爆を行い、特殊部隊を派遣、シリア反政府武装勢力を支援してきた。北部シリアには航空基地2カ所を含む10基地を維持、特殊部隊約450人が駐留している。一方、ロシアの軍事介入は、シリア政府から要請を受けた合法的な行動である。
ロシアはアサド大統領個人を支援しているのでなく、正統に選ばれた政権を支援している、というのが従来からのロシアの立場である。
IS支配地域が徐々に駆逐され、シリアは、①政府軍の支配地域②反政府武装勢力の支配地域および③クルド人の支配地域(シリア北部のトルコ国境周辺)―に区分される。
政府軍の支配地域が拡大する中、米中央情報局(CIA)の秘密援助(兵器供給や軍事訓練)を中止される反政府勢力が、いかなる妥協点を見いだすのか。トルコが反対するクルド人は独立(連邦制)を達成できるのか。
また、どれほどの難民がシリアに帰って来るのだろうか。宗派のことを考えれば、土地替えが必要な地域もあろう。経済、インフラの再建も急務だ。アサド大統領が柔軟な政策を取るように、ロシア、イランなどがどう協力するのか。長い道のりが始まる。
(いぬい・いちう)