カタール・サウジ断交の背景
部族・家同士の抗争過熱
アルジャジーラも対立要因
最近起きたアラブ世界の情勢の中で世界の多くの人に不可解な印象を与えた出来事としてカタール首長国をめぐる問題は一つの典型的なものとして印象付けられる問題であると言えよう。
問題の最初はサウジアラビアを中核としてエジプト、バーレーン、アラブ首長国連邦(UAE)の4カ国がカタールとの断交を突然発表、続いてイエメンが加わって5カ国となり、加えてモルディブ、モーリタニア、コモロ、ヨルダン王国がそれに続き、結局8カ国の国がカタールとの関係を停止するという事件が突然起き、世間に疑問を抱かせた。
それから今日まで50日以上が経過したが、その間、米国とクウェートが仲介に入り、幾度かの和解交渉が重ねられたが改善の報は届けられなかった。そればかりか対立の理由を明確に知ることができず、今日に至るもまだ不明である。
当初、断交の理由は「カタール政府はテロ組織を支援し、それにより、世界中で多くの人命が失われている」という国際社会では万能と言える口実が断交の理由として上げられた。だが、断交グループの代表でもあるサウジアラビア王国自身も幾つかの宗教グループを支援していると指摘されるに及んで、双方痛み分けという理由で葬られるという一幕があり、対立の直接的理由はいまだ不透明なままである。
仲介の労を取る米国、クウェート双方もサウジアラビア王国とカタール首長国の対立に手を焼いているとの印象を世界に与えている中での6月22日、これらグループがカタール政府に断交解除条件として13項目の要求を突き付けた。もちろんカタール政府はこれを拒否。
その後、断交開始時に臨んで前もって準備されていたような印象を与える仲介者クウェート首長国と、カタール、サウジアラビア両国共通の友邦、米国の三者による関係改善の交渉が幾度となく開催されることとなったが、アラビア半島の歴史に登場する部族間会議のように真相不明のまま、また調停進行の内容も公表されず、灼熱(しゃくねつ)の砂漠の中での交渉はアラビア風に継続された。
噂(うわさ)では関係改善の一つの目玉であるとされる注目の衛星テレビ局アルジャジーラの廃止要求が今回の断交の大きな理由であるとの報道が流されているが、アルジャジーラがこの件に関する報道を控えているという現状を考えると、このテレビ局の報道姿勢が断交の理由の一つを形成しているとの感を強く抱かせる。
このような中、カタール首長国の現首長タミーム・ビン・ハマドが21日、サウジアラビア王国との対話に応じるとの声明を出した。11日にカタールがテロ集団とされるイスラーム集団への援助を停止するとの合意を米国との間で交わした後での発表であるが、サウジアラビアとの交渉ではないところが面白い。
そもそもこの両国の問題はカタール首長国とサウジアラビア王国という近代国家を舞台として起きた問題ではなく、アナイザ族のサウド家とマアーディド族のサーニー家の抗争という過去の歴史の形の中で起きたもので、これまでの両家の複雑な関係がその背景を形成していると言われている。
カタール首長国は1971年に英国から独立、首長国となったが、95年ハリーファ首長外遊中に現首長タミームの父で先の首長ハマドが無血クーデターを起こして現在に至っている。この時からサウジアラビア王国との関係がギクシャクし始め、2013年に即位した現首長タミームの統治下での14年3月にはサウジアラビアおよびUAEが大使を引き揚げるという事態を招き、国境紛争も含めて前首長ハマド、現首長タミームとサウジアラビア、UAE両国との関係は部族紛争的雰囲気の中での対立を深めていた。
今回の13項目に上る要求も以前から両国間でよく議題に上る課題で、イランとの関係、宗教集団に対する援助、そしてアルジャジーラ問題等は耳新しいものではない。
新たな話題としてトルコ軍の駐留にサウジアラビア側が反応しているのは、トルコがサウジアラビアのかつての敵であったことを考えると、復讐心の強いアラブ族にとって軍の駐留を拒否する気持ちは理解できる。
よって問題は彼らにとって我慢できない問題、すなわち部族、家の名誉に関する感情的な問題の存在が見えてくる。最も考えられる要因はサウド家内部の話題をアルジャジーラが握り、それを流す恐れがあったために起きた問題ではなかったかという、極めて世話物的とも言える問題の存在を感じざるを得ない。
ちなみに21日に出されたタミーム首長の会談開催の提案も「国家の主権の維持」を主張、サーニー家の尊厳の維持を要求している。
(あつみ・けんじ)