米フォード政権の中東政策

佐藤 唯行獨協大学教授 佐藤 唯行

イスラエルに強硬措置

調停役送り和平交渉を継続

 米・イスラエル関係はフォード大統領の時代(1974年8月―77年1月)、険悪化の度合いを強めていった。その度合いは最悪の時期だったアイゼンハウアー政権期に次ぐレベルであった。何故ならフォードはイスラエルに対する軍事・経済援助を半年間も停止してしまったからだ。

 とはいえ、若手議員時代から副大統領在任時までフォードは一貫して軍事援助を支持し続けてきた名高い親イスラエル派だったのだ。それ故、在米ユダヤ指導者層は大統領に就任したばかりのフォードを楽観視していたのだ。実際、就任当初のフォードは自分が大統領である限り、67年の6日戦争でイスラエルがエジプトより獲得した占領地、シナイ半島の返還をイスラエルに求めないと約束していたのだ。

 その様なフォードに対して、占領地返還を遅らすことは賢明でないと助言したのは国務長官、キッシンジャーだった。エジプトを手なずけ、中東に勢力圏を再構築しようとするソ連の野心を挫くためには、イスラエルにある程度の犠牲を強いてもエジプトをなだめる必要があるとキッシンジャーは進言したのだ。

 外交問題にはそれほど詳しくなかったフォードは米外交の第一人者、キッシンジャーの進言を次第に受け容れていったのだ。当時、キッシンジャーは中東に自ら直接赴くシャトル外交を精力的に展開することで中東和平実現に奔走していたのだが、イスラエル側の非妥協的態度によって行き詰まりに直面していたのだ。イスラエルのラビン首相は自身の政治基盤の弱体化を招くという理由で、最小限の領土的譲歩さえ、行おうとしなかったからだ。

 業を煮やしたキッシンジャーとそれに同調したフォードは75年3月、突如、中東政策に対する「みなおし」を発表し、9月までの半年間、イスラエルへの軍事・経済援助を停止する思い切った策に踏み出したのだ。これはアイゼンハウアー政権以来、2度目のことで、以後の米政権では類例がない厳しい措置だった。このショック療法が在米ユダヤ社会側の猛烈な反発を招くことは必至だったが、フォードは何とか踏み止まろうと決意していたのだ。果たせるかな、ラビン政権の意向を介した700人もの在米ユダヤロビー関係者が集結し、フォードに圧力をかけるべく、3週間に及ぶ猛烈な陳情活動を米連邦議会に加え始めたのだ。

 当時、米連邦議員団の親イスラエル主義は今日よりも強力だった。例えば75年中頃、『ワシントン・ポスト』紙による世論調査では「イスラエルの滅亡を阻止することはアメリカに課せられた道徳的義務と思うか?」という問いに対して、「イエス」と答えた者は米連邦下院議員全体の実に87%に達していたほどである。こうした議会内の親イスラエル主義を背景に75年5月には連邦上院議員の76%が署名したフォード大統領宛の公開書簡が提出され、その文面は『NYタイムズ』紙に意見広告として掲載されたのだ。

 76人の上院議員たちはフォード政権が「断固としてイスラエルの側に並び立つ」ことを確約するよう求め、イスラエルが必要とする26億㌦の軍事・経済援助の再開を迫ったのである。署名集め、文案の起草はユダヤロビーの横綱AIPACによるものであった。この書簡はキッシンジャー外交に対する異議申し立てであり、米議会・ユダヤロビー連合対フォード政権の緊張を高めたのだ。

 この時、両者に妥協の道を選ばせたのが共和党を支持するユダヤ人脈のトップで、フォードとは20年も前から深い信頼で結ばれていたユダヤ大富豪マックス・フィッシャーであった。調停役を買って出たフィッシャーは秘かにイスラエルを訪れ、都合5時間に及ぶラビン首相との秘密会談の末、和平交渉継続の合意をとりつけたのだ。フォードに対しては「みなおし」の範囲を狭めるよう説得し、イスラエル側が望む米政府による軍事・経済援助を9月から再開させたのだ。

 この結果、イスラエルはシナイ半島の油田地帯と戦略的要衝からの部分的撤兵と返還に同意したのである。この時、結ばれた協定は4年後の79年3月に締結される現代史の転換点、エジプト・イスラエル平和条約を導く突破口となったのである。

 さて、その後のフォードだが、76年11月の大統領選では意外にもユダヤ票の32%を獲得している。これは20世紀以後の共和党大統領としては、72年に再選を果たしたニクソンの35%に次ぐ、史上2番目に高い数値であった。半年間もイスラエルへの援助を停止しながら、何故フォードは在米ユダヤ社会によるしっぺ返しを受けなかったのだろうか。

 理由は明白だ。1948年の建国以来、76年に至るまで米政府がイスラエルに与えた援助金額の実に40%までが、フォード政権期に与えられたものだったからだ。フォード政権がイスラエルに与えた援助金額が歴代米政権の中で並外れて大きかったため、在米ユダヤ社会は「半年間の援助停止」にも目をつぶったというわけだ。

(さとう・ただゆき)