拒否されるシリア和平会議
強硬な国内アラブ勢力
アサド政権への復讐が目標
民主主義を謳う思想もなく、自由を求める秩序もなく、集団をまとめる指導者も、そして運動を管理する組織もない中で始まった騒乱が、老醜の大統領の追放という決断を大統領周辺に与えて始まったアラブの春という現象は、3年を終えようとしている。しかし、その実態は民主主義と自由に満ち溢れ、憧れた個人主義に酔いしれるような世界ではなく、経済環境の悪化が一段と進み、老醜ゆえに決断力を失った前大統領の時代を懐かしむ声が、時には混乱の中で、時には流血の悲劇の中で聞こえている。
騒乱のアラブの春は、その表現と異なり様々な姿を見せている。定着アラブの国チュニジア、エジプトは、行政、司法、軍、治安に体制の変化は訪れず、旧体制のまま今日まで国民生活を辛うじて維持している。立法府は待ち望んだ自主的国民投票の結果、国会が開会されたが興奮状態のまま井戸端会議化し、今のところまったく機能を失っている。
一方、同じアラブの春風が吹いたと判断した人の期待を裏切るわけではないが、リビア、イエーメンそして注目のシリアでは、民主主義、個人主義、自由などの権利主張は沙漠の熱風に吹き飛ばされて、民主主義の衣は裂け、これまでイスラームと愛国主義で被われ隠されていた部族の顔が露(あら)わになり、復讐(ふくしゅう)と利権を求めるイスラーム以前の世界、ジャーヒリーヤ時代へと戻ったかに見える。
復讐とも言える方法で殺されたカダフィ大佐の率いたリビアは、石油地帯は国際石油メジャーの実質管理の下に近代的に管理されてはいるが、石油地帯を離れ沙漠に入ると故カダフィ時代以前のリビア、サヌーシー時代のリビアが再演され、そこには部族時代を彷彿(ほうふつ)させる世界が広がっている。
また、シリアではその歴史的な権威と文化的高さを賞賛されるダマスカスは、ウマイヤ朝時代前夜を彷彿させるようなタイムカプセルの中にあって、アラブの春を民主化運動と判断した人々の期待を裏切っている。
レバノンとシリアを結ぶ南北に連なる山岳地帯は歴史を封じ込めた缶詰のごとき感を与える地帯であるが、そこを根城とするアラウィ派イスラーム教徒を主とする集団と数多くの宗教集団から構成される非アラブ集団による孤立的な環境の中でシリアは成り立ち、歴史を積み重ねてきた。現在、シリアを支配するバース党、軍は後者の非アラブ集団を核として構成されており、その結束は強く、アサド家を中心としてより結束を固めている。それはチュニジア、エジプトのように、大統領を機に乗じて追い出す政権とは異なり、結束の力が政権崩壊を食い止めている。
一方、反政府勢力の人々は多種多様だが、その中核を占めているのは、山脈の裾野から東に広がる灼熱と酷寒の沙漠地帯を生活の場とする南アラブ族を源流とするアラブ最大の部族シャンマル族に属するルワラ族と繋がりのある人々で、アラブ族の世界で構成される。シリアという国を特徴づけるこの二つのグループは常に対立してきた。
ルワラ族は長いアラブの時代、そしてイスラーム教のトルコの時代を経て第2次世界大戦後を迎え、混乱のうちに生まれた新生シリア軍とバース党の時代に入った。この体制が成立する以前の彼らの居住地は、ダマスカスの西に北は一部アレッポそしてハマ、ホムス、東はパルミラからイラク領のルトバを経て南はサウジアラビアのネフード沙漠、ハイル地方に至り、西をヨルダンのアズラクを拠点とした。かつては、シリア、ヨルダン、イラクそしてサウジアラビア4カ国に広がる広大な世界の支配者であった。
だが、1958年シリアに生まれたバース党政権は国内の部族法を廃止し、部族を管理下に置き、彼らの農地、放牧地を国有化した。この結果、シリアに居住するアラブ族は財産を失い、生命の危機を感じ、その後に生まれたアサド政権とも対立し、時には激しい抗争劇を繰り広げた。その結果、1982年のハマー大虐殺事件が起き、虐殺されたアラブ族の胸にアサド家に対する復讐の誓いを刻み込ませた。
チュニジア、エジプトの国家運営に当たっていた者たちが、アラブの春を利用して老化して政務ができなくなった大統領を追い出したように、シリアのアラブもまたアサド政権に対する積年の復讐を達成すべく行動に出たのである。
イスラームは復讐を禁じているが、この復讐はアッラーも止めることが困難なほど強く、今回の戦闘で、より復讐の念は高められ、強められたことは間違いない。反政府勢力が不統一なのは、このアラブ集団がアサド政権との話し合いに応じず、その打倒だけを望むという姿勢を当初から崩していないからであり、それゆえ和平国際会議は拒否され、その開催が難航しているのである。
なお、「シリア国民連合」は、アサド政権による弾圧から外国に逃れた集団によって構成されており、シリア国内にいる復讐集団のアラブには関係のない集団であるとの意識が同国内反政府勢力に強い。彼らの望みは復讐の達成である。
(あつみ・けんじ)











