神学で決まる「イスラム国」

渥美 堅持

東京国際大学名誉教授 渥美 堅持

現実に国となる危険性

部族問題で湾岸諸国が警戒

 今年6月29日、イスラーム教にとって重要な断食の月が開始されたその日、「イラク・シリアのイスラム国」(ISIS)と称する武装集団が「カリフ制復活」を目的とする「イスラム国」の設立を突然と宣言した。指導者アブー・バクル・バグダディなる者が「カリフ」に指名されたとして全イスラム教徒に「カリフ」に忠誠を誓うよう求めた。そして「イスラム国」の領域はシリア北部のアレッポからイラク中部のディヤラ県に及ぶとする声明を出した。

 それから4カ月が過ぎ、時代錯誤ともいえる「イスラム国」の出現は世界を大いに戸惑わせたが欧米は直ちにこの「イスラム国」なる集団を「テロ集団」と断定、これまでの対テロ対策に則(のっと)って対応することを宣した。これに対して「イスラム国」は「イスラム国」の前身ISIS時に拘束していたジャーナリストを殺害、欧米が冠した「テロ集団」としての位置に自らを置いた。これによって世界は連帯を図り「イスラム国」壊滅に向けて動き出し、空からの攻撃を開始し、空からの制圧を試みることとなった。

 この攻撃には欧米諸国ばかりか湾岸諸国も参加した。湾岸諸国の積極的な参加はたとえ空爆という限界を持ちながらもこれまでの姿勢を大きく変えたもので、湾岸諸国がこの問題に非常に神経質になっていることを示した。その背景には同じスンニー派イスラム教徒である湾岸諸国、特にサウジアラビア、クウェート、バーレーン等の北アラブ族系アナイザ族集団からみて、イラク・スンニー派の領域と言われるバクダード以西に住している南アラブ族系部族とは過去において厳しい関係にあったことが「イスラム国」問題に対して高い警戒心、危機感を抱かせた。それが参戦に踏み切った理由であると思われる。

 世界はこの「イスラム国」をアル・カーイダのようなテロ集団であると見ているが、イスラーム世界の一部では将来にわたって存在するかも知れない新たな教団の出現であると判断する。それは過去においてこのような形での国作りが行われたからである。

 1840年頃リビアにサヌーシー教団と名乗るイスラーム集団がサハラ沙漠一帯のオアシスに拠点を作り、やがてフランス、エジプトのムハンマド・アリー朝、オスマン帝国、イギリス、イタリアとの戦いに勝利し、1951年には王国となり、1969年のカダフィ大佐の革命により滅びるまでの100年以上にわたってリビアの一角を支配した。また、1881年のスーダンにおいてマハディ(救世主)を名乗るムハマド・アフマドなる人物が現れ、スーダンの首都ハルトゥームに駐留していたイギリス軍を壊滅し周辺地域を支配、1898年にイギリス軍の侵攻により滅ぼされるまで17年間にわたってブルー・ナイル、ホワイト・ナイルの合流点を支配し、英国の権威を失墜させた。

 また、「二聖都の守護者」と言う名を冠したサウジアラビア王国は13世紀から14世紀に活躍したシリア出身のイスラーム学者イブン・タイミーヤの思想に強い影響を受けたアラビア半島フライミー出身のムハンマド・イブン・ワッハーブとそのイスラーム観に大きな感銘を受けた首長ムハンマド・イブン・サゥードがワッハーブ運動を起こし、アラビア半島統一へと動きだした。この計画は一時中断されるが、アブドゥル・アジーズ・イブン・サゥードの時代、半島を征服、トルコとの激しい戦争を経て現在のサウジアラビア王国を1932年に建国した。この半島統一の戦闘に若くして参加していたのが現在のサウジアラビア、アブドゥラー国王であった。

 近代中東世界ではこのようなイスラーム教を中核とした国家出現の歴史があり、それは彼らの歴史観から見てごく近い時代の事件という印象がある。それゆえ「イスラム国」出現は蜃気楼であればと思う願いはあるが、一方において現実的な危機感が残っている。それはテロ集団としての「イスラム国」ではなく、現実的な国の出現としての危機感である。

 問題はリビアのサヌーシー、スーダンのマハディ、そしてサウジアラビアのワッハーブなどのように、「イスラム国」の指導者とされるバグダディ師のイスラーム的権威が本物か否かである。もしこれが相当いい加減な神学者であるとすれば「イスラム国」は単なる掠奪(りゃくだつ)集団、沙漠の強盗団となり、やがては沙漠の砂に埋もれるものと思われる。しかし、今後バグダディ師のイスラーム観が明らかにされ、サヌーシー師、マハディ師、そしてワッハーブ師と同様なレベルの学識と情熱を具備している人物であると判断されたとき、「イスラム国」の出現は本格的な脅威となる。

 現在、未だにバグダディ師のイスラーム観は明確ではない。一部イスラーム学者が待望していると伝えられている「カリフ制復活論」を掲げて登場してきたが、それ以降の声明は見られず、そのイスラーム的権威は今もって不明である。それは「イスラム国」なるものがテロ集団なのか神学集団であるかの判断がまだ定まっていないということである。

(あつみ・けんじ)