“本当の祖国”は、どこにあるのか 文大統領がまず独善を捨てよ
曺国氏が法務長官に指名されてから2カ月余りの間、この地には二つの「チョグク」(祖国(チョグク)、曺国と同音)が存在した。一つは大韓民国を守ろうという光化門集会の祖国で、もう一つは曺長官を守る瑞草洞(ソクチョドン)集会の曺国だった。前者が良心と正義と公正の叫びならば、後者はその反対の性格だった。
これまで国論分裂の火種として作用してきた曺国氏は14日、長官職から退いた。最後の瞬間まで改革を口にしたが、それは彼が言える言葉ではない。改革とは自身を打って皮を剥がし、新しく生まれることを意味する。他人を正そうとするより、まず自分を正す努力をしなければならないのだ。特権と反則にまみれた曺国氏が改革の適任者になれなかった理由だ。
国民が本当に望むのは“偽の祖国”(曺国)の退場ではない。“本当の祖国”大韓民国を国らしい国にすることだ。その答えは文在寅大統領の就任の辞にも出ている。当時、国民に示した約束を七つにまとめるとこのようになる。
最初に、国らしい国をつくる。第2に、自分を支持しなかった人も含む国民全ての大統領になる。第3に、帝王的な権力を分散して謙虚な権力者になる。第4に、疎通する大統領になる。第5に、支持不支持に関係なく人材を公平に登用する。第6に、機会は平等、過程は公正、結果は正義にする。最後に、嘘をつかず誤りを率直に認める。
約束はどれ一つ守られなかった。大統領の言動は真実よりは偽りに近かった。平等と公正と正義は紙くずとなり、公正な人事は内輪人事に変わって久しい。自ら“半分(支持者だけ)の大統領”の道を歩み、正義を訴える国民の叫びに耳を塞(ふさ)ぎ、犯罪者の家族を守ろうという不義の声にだけ耳を傾けた。
文大統領は就任の辞で「これが国か」という問い掛けから新しく始めると叫んだ。その問い掛けを外に投げ掛ける前に、まず自身に問うべきだ。大統領自身が果たして大統領らしいのかと…。今回の曺国事態で最も重い責任は大統領にある。大統領が就任当時の初心に帰って答えを求めるなら、いま国民の口から「これが国か」という声が沸き起こる理由が分かるだろう。
国らしい国をつくろうとするなら何より真実が重要だ。確信の虜(とりこ)になって自身の誤りを認めなければ、疎通と真実の門は閉ざされてしまう。文大統領の最大の敵は自分だけ正しいという独善だ。独善を捨ててこそ一方通行の国政と疎通断絶の罠から抜け出すことができる。本当の祖国を国らしくする道はそこから始まる。
(裵然國(ペヨングク)論説委員、10月15日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
ポイント解説
曺国氏は本当に諦めたのか
就任前から国論を二分してきた曺国氏の法務部長官就任。家族や本人への疑惑が濃厚にもかかわらず、人事が強行されたのには驚いた。わずかな傷で閣僚を辞めざるを得ない日本で、この粘り腰、鈍感力、強行突破は異次元のことと映った。
だが、週末ごとに行われた「退陣要求」デモは、かつて朴槿恵氏を大統領の座から引きずり下ろしたろうそくデモを彷彿させ、その力で大統領に就任した文在寅氏も引かざるを得なかったのだろう。何よりも世論調査の数字を気にする大統領がこのまま行けば支持率40%を切ろうという段階になって、盟友を下げる決断を下さざるを得なかった。
だが、法相を退かせたとはいえ、曺国氏や文大統領は自らの政治的目標を諦めるとは考えられない。文大統領の目的は来年4月の総選挙で与党を勝利させ、憲法改正して、大統領任期を1期5年から2期10年に変え、じっくりと南北統一に備えるというものだ。さらに曺国氏を次の大統領に据えて、左派政権による「南北連邦制」を模索する。
保守陣営はその目論見(もくろみ)が分かっているため、ここで手を緩めず曺国氏を完全に葬っておきたかったわけだ。ならばこそ、現在検察が進めている曺家族への追及を止めてはならない。妥協は将来に必ず禍根を残す。しぶとく復活して復讐(ふくしゅう)するのは何も韓流ドラマだけではない。歴史で繰り返されてきたこの地の習いだからだ。ソウル大教授に戻った曺氏は、野に放たれた狼も同然なのだから。
それにしても、説教くさい論説だが、韓国はメディアを「言論」というだけはある。
(岩崎 哲)