指を見て月を見ない?


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 自由韓国党の黄教安代表は今年5月31日、文在寅大統領に向かって、「知恵ある人が月を見るように指さすと、愚かな人は指だけをみて、肝心の月は眺めない」と批判した。“指と月”というタイトルのフェイスブック投稿で、「文大統領の昨日の国務会議での発言を思い出すと、ふと仏教説話に出てくる話が浮かんだ」としながら、語った言葉だ。文大統領が自身とトランプ米大統領との電話通話の内容を流出させた自由韓国党の姜孝祥議員と、これを援護する同党を国務会議で強く批判すると、「月」(韓米同盟の亀裂)は見ずに「指」(姜議員)だけを見ていると反駁(はんばく)したのだ。

 誰かが月を指さすと、指ではなく月を見る。そして月を指さした指のことは忘れる。これを「見月忘指」という。中期大乗仏教の経典である『楞伽經』に出てくる言葉だ。月を指さす時に、月を眺めないで指だけを見てああだこうだと言えば、核心を見逃すことになるということだ。単純に表に現れた現象だけを見ないで本質を見抜かなければならないという意味だ。

 青瓦台(韓国大統領府)の高★廷報道官が今月10日、文大統領の忠清南道牙山のサムスンディスプレイ工場訪問と関連して、最近、フェイスブックの投稿で「いくつかのメディアは(朴槿恵前大統領などへの贈賄容疑で逮捕収監され、第2審の執行猶予付き判決で釈放されているが、今年8月の最高裁による第2審差戻し判決を受けて、再収監の可能性が出てきた)李在鎔サムスン副会長だけに焦点を当てて、文大統領がどうしてそこまで訪ねて行ったのかうまく伝えていないようだ」と指摘した上で、「月を見ずに、月をさす指だけを見ているようなので、このように投稿した」と語った。国内の産業競争力強化に向けて実現した大統領の経済現場訪問が李副会長との出会いに焦点が当てられ、政治的に解釈されたことに不満を示したのだ。文大統領がこの席で李副会長に公然と謝意を表したことは、異例なことなので、さまざまな観測が出たのだ。

 大統領が産業現場を訪ねることは、望ましく歓迎すべきことだ。頻繁であればあるほどいいことだ。ただし、忘れてはならないことがある。経済と企業を生かす実質的な政策を展開することだ。大統領府が経済を困難にしている根本原因は放置したまま、大統領の経済現場訪問を十分報道しないとメディアを責めることこそ、月を見ずに指だけを見ることではないのか。

 (10月16日付)

★=日へんに文

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。