指導者クラスの政治家と「責任倫理」、誤り認め応分の責任を取れ
政治家、特に指導者クラスの政治家が正しく留意しなければならない問題がある。他でもない責任倫理だ。いくら良い趣旨や正しい目的をもって事を遂行したとしても、結果が良くなければ弁解の余地なく、責任を取らなければならないということだ。
侵略され国土が蹂躙(じゅうりん)されて民は塗炭の苦しみを舐めているのに、指導者が廃虚の上に立って「私は平和を追求した」というようなことを語っていればいいということではない。
韓国動乱71周年を迎えた。休戦協定が成立して60周年になる年、中国のある新聞から原稿依頼があった。休戦後2世代が過ぎたのに、どうして韓半島には今も緊張が漂うだけでなく、時々軍事的な衝突さえ起こるのか。外部の人間が当然持つ疑問だった。
私はすぐに原稿を送った。要旨は意味のない愚かな戦争に責任がある指導者たちが自身の誤りに責任を取らないだけでなく、逆に自身を偉大なことをした英雄に祭り上げさえしたため、というものだった。
例えば、金日成(キムイルソン)が戦争を始めた目的は韓半島を統一して、その上に社会主義を実現しようとするものだった。だが戦争が終わった時、目標とは違い、国土の分断はより一層強固になった。南北全ての韓国人の胸中は相手方への怨恨と憎悪が残り、分断はより深刻になった。
これに対して、金日成はどんな責任を取ったのか。最低限の謝罪をして地位から退くのでなく、かえって自身を米国の侵略を阻止した偉大な指導者にして、権力に挑戦し得る競争者を粛清し、地位の保全に走った。
李承晩(イスンマン)も大差なかった。南北の軍事力の不均衡が深刻で、これに対する防備も不十分な状況の中、“北進統一”のような非現実的なスローガンで国民を誤導した。実際に戦争が起き、奇襲に遭って敗退を繰り返す状況でも、偽情報で国民を油断させ、独り首都を捨てて逃げた。
国難に処して国を守った功績があっても、戦争が終わった時、あるいは遅くとも“韓米相互防衛条約”が締結された時、戦争の責任を取るという言葉と共に大統領を辞任すべきだった。だが彼もまた、自らを“国父”と呼ばせ地位を守った。指導者たちがこんな有様なので、国民も愚かな戦争に対して反省できなかった。
中国の新聞は当初、この原稿を掲載できないと伝えてきた。それなら仕方がない。他の媒体に寄稿して、この経緯まで明らかにすると言うと、数日後、原文そのまま載せると返事がきた。
近ごろ指導者クラスの政治家が誤りを犯して、自ら命を絶っていることも心が痛い。立派な方々が自身の社会的な名声と現実の間で悩んだことを蔑むつもりはない。ただ、過ちを犯したなら、平素享受していた名声や一般人が抱くイメージと大きく異なる自身の現実を直視すべきではないか。率直に誤りを認めて謝罪し、応分の責任を取ることが指導者として正しいことではないのか。自殺をすることであらゆる責任から逃れると考えることが私たちの政治家の新しい風潮になることがないように願う。
(羅鍾一(ラジョンイル)嘉泉大客員教授、6月28日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
ポイント解説
逃げずに正面から受け止めよ
秀吉軍が漢城(ソウル)に迫った時、朝鮮の王宣祖(ソンジョ)は宮も民も顧みず真っ先に逃走した。これに怒った民衆は徳寿宮に乱入、略奪して火をかけた。修学旅行生を乗せたセウォル号が、無理な改造と操舵のミスで沈没しようという時、最後まで船に留まるべき船長が救助活動もせず、船と子供たちを捨てて逃げてしまった。
韓国に限らないとはいえ、政治家など責任者が責任を取らず逃走したり、自ら命を絶つようなことを多く目にする。人権派弁護士として、フェミニズム擁護の先頭に立っていたイメージの朴元淳(パクウォンスン)ソウル市長は女性秘書から長年にわたるセクハラを訴えられて、責任を追及される前にソウルの裏山で自殺した。
やはり人権派弁護士で文在寅(ムンジェイン)大統領の“師匠”である盧武鉉(ノムヒョン)大統領は退任後、不正で親族・側近が逮捕され、自身も収賄容疑で事情聴取を受けたのを苦に、実家の裏山から投身自殺した。
羅鍾一氏は駐英・駐日大使などを歴任した外交官である。政治家の責任倫理を問うのに、今日の朝鮮半島情勢を形作った金日成と李承晩という二大巨頭からまず厳しく追及した。彼らに続く政治指導者で、この問題から自由であった者は少なく、ほとんどが退任後、訴追されるか、その前に自ら命を絶つ。
大統領任期も1年を切って、次期大統領候補らが声を上げ始めた。現情勢は政権交代の可能性も出てきている。有力候補の一人は不正追及のプロ、元検事総長であり、現政権から追い出された人物だ。文大統領退任後、同じように家族・側近、そして本人が追及されるのか。逃げずに責任を真正面から受け止めよという忠告に聞こえる。
(岩崎 哲)