成果なき“北東アジア+責任共同体構想”
政府の実質的推進意思が必要
“北東アジア+責任共同体構想”は文在寅政府の国政課題の98番目として、域内諸国との協力を通じて平和と繁栄の北東アジア秩序を実現しようとする韓国政府の取り組みだ。
同構想は“平和の軸(安保)”と“繁栄の軸(経済)”で構成されており、“安保協力”としては北東アジア平和協力プラットホームの構築が、“経済協力”としては新北方政策と新南方政策の推進が主要課題として提示されている。
政策施行4年目で同構想はどこまできたのか。残念ながら高い点数は与えられない。知名度も低く、今まで何を実現したのかも分かりにくい。より重要なのは如何(いか)に実質的に推進しているかだが、政策推進に不均衡が見られる。
経済協力を推進した新北方政策と新南方政策は少しましだ。さまざまな制約があるとはいえ、北方経済協力委員会、新南方政策特別委員会など、別途の組織と諮問団ができ、具体的な協力分野と施行事業が着実に点検されているからだ。
これとは違い、安保協力のための北東アジア平和協力プラットホームは政府の相対的に低い関心と支援の中で辛うじて命脈だけを保っている。結局、多くの専門家の指摘と懸念が現実となり、構想は存在感もなく、施行されている諸政策も一つに統合されないまま各自生き残っているだけだ。
このような中で今月3日、外交部(部は省に相当)と国立外交院の主催で「2020北東アジア平和協力フォーラム」が開催された。会議はオンラインで開催されたため多くの注目を浴びはしなかったが、通常時よりも深みのある率直な議論が行われた。各主題に対する発表者たちの率直な意見交換は、過去数十年間、多くの試みにもかかわらずこの地域の安保協力が難しい理由を知ることができる意味ある時間だった。
それにもかかわらず、後味の悪さは隠せなかった。この会議の終わりに残るものは何かという虚脱感のためだ。類似の会議の氾濫の中で“会議のための会議”がもう一つ開かれ、お互いの異見を確認する以上の成果、そして他の会議との差別性を見いだし難かった。
さらに寂しかったのは国政課題であるにもかかわらず、政府レベルの推進力が欠けていたことだ。大統領の祝辞も、外交部長官(外相)の開会の辞も、責任ある当局者の発言もなかった。国政課題という単語が恥ずかしいほどだった。
同フォーラムは14年に始まり今年で7回目だ。文政権発足後だけを見せて、その前の価値ある歴史は薄められた。結局、私たちは既に持っているプラットホームを活用できずにいるのだ。こんな状況が続けば、結局歴代政府は「実体がない」「成果がない」との繰り返された批判から抜け出すことができないだろう。
今からでも遅くない。歴代政府から教訓を得よう。政権の成果に重点を置かずに、これを国家の長期推進課題として設定しよう。政府の真剣さと実質的な意志が何より重要だ。
(チェ・ウンミ峨山政策研究院副研究委員、12月19日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
ポイント解説
“儒学者の論争”に終始
韓国が「国政課題」として掲げる「北東アジア+責任共同体構想」は東アジアで東南アジア諸国連合(ASEAN)のような経済と安保の協力関係を築こうというものだ。しかし、現実の環境はとてもそんな“理想論”が通じるような条件ではない。体制の違いや軍拡による安保脅威が存在する一方で、経済関係は深く相互に依存し、濃密なサプライチェーンを構築している。にもかかわらず政治的緊張が生じれば、政経分離の原則など簡単に破られる実例が幾つも転がっているのが北東アジアだ。
日本、中国、韓国、それに北朝鮮を含めて、体制の違いや政権の“野心”に目を瞑りながら、経済的関係だけをうまくハンドルして行こうなどご都合主義にもほどがある。これが戯(ざ)れ言であることは、ここ数年の状況を見るだけで十分に知ることができる。
だからだろう。外交部主催にもかかわらず、大統領の祝辞すらなく、「会議のための会議」に終始したのもうなずける。この構想自体が現実と懸け離れたものであることを政府が自らの態度で示しているのだ。
第一、韓国政府が「徴用工判決」を放置して、対日関係改善もできていない状況や、北朝鮮の核開発が“黙認”され、中国の軍拡が傍若無人に進められる中で「共同体」などできようはずがない。
チェ副研究委員は「安保協力が難しい理由を知ることができる意味がある時間だった」というが、これが皮肉でないなら、まさに「会議のための会議」だ。儒学者の論争ほどに虚(むな)しい。かつて「環日本海経済圏構想」が掲げられたことがあったが、中国の覇権主義、北朝鮮の核・ミサイル開発で簡単にしぼんでしまった前例があるのに。
(岩崎 哲)