排他的な熱狂ファン政治が民主主義崩す


韓国紙セゲイルボ

アイドル応援の文化が政界に

 「私の名前は絶対明らかにしないで」「私は参加すると言った覚えはない」。最近、保守野党、国民の力「青年政策特別委員会」の諮問団に参加すると伝えられた一部の人々の反応だ。

韓国の文在寅大統領=7月21日、ソウル(EPA時事)

韓国の文在寅大統領=7月21日、ソウル(EPA時事)

 同特別委は米マサチューセッツ工科大学のメディアラボを真似(まね)た機構で、青年中心の政策実験の場を作ろうとの趣旨で発足した。理念と地域、世代に偏りがある同党に新しい活力を吹き込む実験を担う機構として構成されたものだ。

 党外の中道・進歩指向の学者と専門職に従事する40・50世代が諮問団として合流する。特別委は青年のアイデアの実現を支援する役割を受け持ち、党の外縁拡張を試みる予定だ。

 しかし、特別委の構成と諮問団に参加する金ギョンユル「経済民主主義21」代表、徐ミン檀国大教授などの名前が事前に報道されると、すぐに与党支持者からの攻撃が始まった。金代表は合流説を「事実無根」だと否認。徐教授は「共に民主党の情けない振る舞いを見て野党に対する考えも変わった。そして、国民の力には本当に良い議員もいる」としつつも、「ただ、現政権を批判する者に対して、テケムン(韓国語で「頭が割れても文在寅」の略語。文氏の熱狂的支持者のこと)がどんなことをするのか、よく知っているから断った」と表明した。

 金代表と徐教授は“曺国黒書”と呼ばれる『一度も経験してみることのできない国』の共同著者で、過去、文大統領と民主党を支持したが、“曺国事態”を契機に支持を撤回した人物だ。他の諮問団に参加した10人余りの人々は“非公開”を前提に合流を決めた。野党を支持することの負担と、それによる非難や“身元暴き”まで耐えなければならないことが、公開活動を妨げる大きな原因だった。

 文大統領の就任初期には「月光騎士団」などと呼ばれる熱狂的な支持者が、アイドルを応援する“ファンダム文化”を政界に持ち込んだ。応援サイトで好きなアイドル歌手の歌を繰り返して聞いて順位を上げるように、文大統領の記事リンクを共有し、「いいね」をクリックしたりコメントを書いてアクセス数を上げた。

 ファンダム政治は市民の政治参加を高めるという次元で肯定的な側面はあるが、それが排他主義に流れては困る。不幸にも文大統領に従う熱狂ファンたちは昨年の“曺国事態”を契機にそう動いた。「盧武鉉の夢、文在寅の運命、曺国の使命」というスローガンを掲げた彼らは曺国氏に向けられた野党とメディアの批判を“検察改革”を妨害する攻勢と見なした。その後の秋美愛法相をかばう態度も変わらなかった。

 政治の変化を夢見る新しい人物たちは、文氏の熱狂ファンのとりことなった民主党にも、過去と決別できない国民の力にも参加するのをためらっている。その間に熱狂ファンに便乗した人々が与党に加勢して政治対立を増幅させている。排他的な熱狂ファン政治が民主主義を崩壊させている。

(李チャンフン政治部記者、10月13日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。

ポイント解説

「贔屓の引き倒し」の「テケムン」政治

 文在寅大統領の熱狂的ファンを「テケムン」という。頭が割れても文大統領を支持するという意味で、「何が何でも文大統領」という人々だ。そのため明らかな失政や不正であっても、文大統領支持は揺るぎもしない。

 文大統領が当初打ち出した「汚職、学歴、兵役、移転、不動産」不正の取り締まりに引っかかる閣僚や与党議員が続出した。韓国の特長は大統領本人よりも権力の周辺に不正が起きるということで、曺国元法相には娘の不正入学と不正財テクが、後任の秋美愛法相には息子の兵役不正が、尹美香与党議員からは横領不正が、複数の大統領府秘書陣からは不動産投機問題が噴出した。その他、与党圏でのセクハラも多い。

 だが文大統領支持者は意に介さない。これら不正をした者を追及すらしない。ファンにとってアイドルとその生活のすべてが好ましいのと同じ心理だというのだ。始末が悪いのは、不正者を庇うだけでなく、追及する者には攻撃の刃まで向けてくることだ。こうなると「贔屓(ひいき)の引き倒し」である。

 自由韓国党を前身とする野党「国民の力」が支持層を広げようと特別委を作れば、集められた識者が「参加を秘してほしい」としり込みするという。知られれば「テケムン」から総攻撃を受け、ネットに晒(さら)されるからだ。アイドルを応援するだけでなく、そのライバルに攻撃まで加える。韓国政治に「熱狂ファン文化」が持ち込まれたのだ。

 こうした政治家への支持スタイルは日本ではあまり聞かない。安倍晋三前首相は日本の政治家にしては珍しく“ファン”が多かったが、「テケムン」ほどの支持層がいたら、もっと楽だったはずだ。

(岩崎 哲)