文大統領は「偏狭で傲慢な権力者」か
秋長官疑惑無視し「公正」叫ぶ
唐の太宗李世民の時代は“貞観の治”として称賛される。「貞観政要」は以後、帝王の教本となった。そこを貫く主題は何だろうか。
「君主が英明なのは広く聞くためで、愚かなのは偏狭なためだ」「国が衰えて疲弊するのは天下を得た後、心が傲慢(ごうまん)で淫らになるためだ」
魏微(唐代の政治家)の言葉だ。千年を超える歳月にも色あせない。なぜか。偏狭で傲慢な権力者たち、彼らは全部民心の逆鱗(げきりん)に触れ、みじめな運命を迎えたではなかったか。
今はどうか。魏微の警句を“月の国の言葉”ぐらいに考えている。権力を握った者たちは耳を防いで相手の話を聞かず、他人のせいにし、誤りを認めるはずもなく、不正を隠すために捜査機関まで操り人形にしてしまう。
曺国(チョグク)スキャンダルと大統領府の蔚山市長選挙介入事件をはじめとして、雨後の筍(たけのこ)のように起こる権力型不正疑惑の数々、国民経済を塗炭の苦しみに陥れる経済・不動産関連の失政…。いくら怨念の声が沸き起こっても眉一つ動かさない。大統領からしてそうだ。
公正と正義。「青年の日」の講演で文在寅大統領は「公正」を37回も使った。「公正はわが政府のぶれない目標」だと述べたが、「どこか別の世界に生きておられるようだ」と陳重権(チンジョングォン)教授は評した。なぜか。
秋美愛(チュミエ)法務部長官の息子の軍服務特恵をめぐる疑惑を見てもそう言える。公正の価値は地に落ちた。玉ねぎの皮をむくように、次々と現れる事件の真相。当直兵の証言も、秋長官の補佐官の電話も、上級部隊の将校の訪問も、平凡な兵士では思いもよらない異常な休暇延長も、全部事実と確認された。秋長官は「小説を書かれたようだ」(作り話だ)と言ったが、それこそが偽りだと判明した。
もっと呆(あき)れるのは与党と政府の態度だ。誰もが“秋長官・徐一等兵(秋長官の息子)守護”に乗り出した。与党の院内代表は、「カカオトーク(無料電話メッセージアプリ)によっても休暇の延長は可能だ」と語って嘲笑と非難を買った。一線の指揮官でさえ、「どんなイカれた指揮官がカカオトークで休暇延長を認めるか」と吐き捨てた。
こうした事態はなぜ起こるだろうか。理由は一つだ。「天下を得た後、心が傲慢になった」ためだ。そうでないならば大統領が“秋美愛問題”に口を閉じたまま「公正」という言葉を何十回も繰り返す理由がない。
国民を馬鹿だと思っているのか。偏狭で傲慢で野放図な政治。その結果は何だろうか。貞観政要にはこんな言葉もある。「君主は船、民は水だ。水は船を浮かべることも、ひっくり返すこともできる」。怒る民心はどこへ向かうだろうか。
(姜浩遠(カンホウォン)論説委員、9月22日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
ポイント解説
呆れた与党の詭弁になす術なし
英国の歴史家ジョン・アクトンは「権力は必ず腐敗する」と言った。堕落していない人間がいないのだから、当然と言えば当然だ。
しかし、ものには程度がある。わが国でも権力は腐敗しがちだが、お隣韓国でのそれは桁が違う。保守だろうが左派だろうが、権力に就けば、当然の役得のように力を行使し、不正を行う。
もし権力の座に就いて、親類縁者にその“恩恵”を分け与えなければ、非情薄情と非難される。それは政治家だろうが、神に仕える神父・牧師だろうが変わらない。役得を享受するのは当然のことで、むしろそれを「悪」とする感覚はない。清廉潔白な人の方が「ありえない」のである。
権力型不正は文在寅左派政権だけの特質ではなく、これまで歴史を通じて全ての権力は腐敗していた。国を食い尽くし、民を食い尽くし、一族家門だけが栄えればいいという考えだ。権力の座を手放せば、即、死を意味するほどだったから、必死にしがみつき、その間に得るものを得た。
文政権は「積弊清算」を完成させて、保守の逆襲を封鎖するつもりだったが、成功しそうにない。もし左派政権を継続できなければ、歴代大統領と同じ道が、すなわち弾劾・投獄・自殺などが口を開けて待っている。必死にならざるを得ない理由だ。
だから、法務部長官の不正にも詭弁(きべん)を弄(ろう)し、言い負かし、大声で圧倒する。もはや同じ文法で話しているとは思えない。メディアが理を尽くして追及しようが「蛙の面に小便」なのだ。慎みと弁(わきま)え、正しいことが通る社会、これがいかに宝物か、そして得難いものなのかを実感させる。
(岩崎 哲)