“無能政府”が招いた惨状を後世に伝えよ
新型コロナ防疫で国民を後回し
人が死んでいる。“人が優先”の政府で人々が息を引き取りつつある。ウイルスでパートナーを失った妻は隔離されて夫の最後の見送りさえできなかった。新婚旅行に行った夫婦は追放され、世界の各地で韓国人が門前払いされている。文在寅大統領が“運命共同体”と持ち上げた中国の人々は駐在韓国人の家の門に大釘を打ち付けた。韓国人がいじめに遭うのは檀君以来一度も経験したことがない大事件だ。
かつて宰相・柳成龍は七年戦争(文禄・慶長の役)の惨状が終わるとすぐに血を吐く心情で『懲毖録』を書いた。失敗の教訓を胸に刻み再び災難に遭わないようにとの想いからであった。今私たちは同じ理由で懺悔の懲毖録を書かなければならない。マスク一つ解決できない“無能政府”が招いたウイルス事態の惨状は一つ残らず後世に伝えなければならない。
今回のコロナウイルスの“スーパースプレッダー”は言うまでもなく韓国政府だ。習近平中国国家主席の訪韓に執着するあまり、中国人の流入を遮断する初期防疫を疎(おろそ)かにしたためだ。今考えるとまず中国があって、政略的利益はその次で、国民は一番後回しだった。
文大統領は最悪の防疫失敗にもかかわらず今まで一言の謝罪もなく、むしろ「コロナ19(新型肺炎)が安定すれば韓国は防疫模範事例として評価されるはずだ」と自賛する始末だ。
MERS(中東呼吸器症候群)事態の時、「国家の危機管理能力が今ほど粗末だったことはかつてない。MERSのスーパースプレッダーは他でもない政府自身だ」と追及した文在寅は今どこにいるのか。自分には春風なのに、他人にはなぜ秋風なのか。
文政府の根本病症は自分だけ正しいという無誤謬の幻想だ。今回の責任もフェイクニュースや新天地(教団)のせいにしている。私は正しいから絶対誤りがなく、誤りがないから謝る必要がないということだ。
新型コロナウイルスが最も恐れるのは日光と清潔だ。日光の紫外線はウイルスを殺す天然殺菌剤にほかならない。ウイルスは空間が密閉され不潔な環境で早く増殖する。疎通の還流を高めて、頻繁に洗浄すれば生存しにくいという。
人間の共同体もまたその通りだ。私たちの社会は今どれくらい清潔なのか。正義と正直が偽りで汚染され、反則が公正の服を着て踊っている。そのような陰湿な土壌で国家の魂を蝕むウイルスが今この瞬間にも増殖を繰り返している。
ウイルスから大韓民国を救出する道は一つだけだ。正義と正直が感染しないように、不正と偽りのウイルスを隔離しよう。そして本当の紫外線で滅菌しよう。
(裵然國論説委員、3月10日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
ポイント解説
天災は「徳」ない君主のせい
中国や韓国では天変地異や天災は「徳」のない君主が立っているから起こるとされてきた。現実に自然現象と政治家の徳性とに関連性はないのだろうが、歴史を眺めて見て、人心が乱れ国が乱れるのは君主が正しく立っていないから、というのはうなずける。
名君というのは、天が乱れ世が乱れれば、自身の至らなさを天の前に悔い、先頭に立って心を入れ替え、徳政を行おうとする。だが、己の誤りを悟れず悔い改められない暗愚の君主は天がこれを滅ぼし、新しい君主を立てる。易姓革命である。
新型コロナウイルスという“災禍”を招き大きくした責任は「君主」つまり国の指導者、大統領であると、この記事は主張しているのだ。自らの失政によって招いた災厄から目を逸らし、むしろ「韓国の防疫を世界は模範事例とするだろう」と自画自賛する。これを本気で言っているのなら、その鈍感力には驚くばかりだ。
もっとも左派の人間に共通した特徴はこの「無誤謬の幻想」が強いことだ。そして往々にしてその批判攻撃は自らに返ってくる。MERSの時、朴槿恵大統領(当時)を責めた“ブーメラン”を自ら食らうところなど、どこぞの野党とよく似ている。
しかし、国難に当たって、新聞の論説がこうした抽象的な話で政権批判するというのも、いかにも韓国らしい。大統領が過ちを悟って降りれば「禅譲」となるが、座にしがみつけば「放伐」という弾劾が待っている。まだ、新型コロナで政権が倒れたところはないが。
(岩崎 哲)