国民の生命と安全最優先が「国らしい国」
消極的で安逸だった初期対応
新型コロナウイルス(新型コロナ)が国内でも恐ろしく拡大している。中国の事態を対岸の火事視し、日本のクルーズ船対応を冷笑していたが、今は韓国が新型コロナの拡散にお手上げだ。モンゴル、ベトナムが新型コロナの拡散を適切に遮断したのと比較すると、韓国の問題は非常に深刻だ。
果たして韓国に効率的な遮断の機会が全くなかったのか。モンゴル、ベトナムが初期から事態の深刻性を認識し、中国人入国禁止など徹底的に対応したのに比べ、韓国政府の対応はあまりにも消極的であり安逸だったという批判を免れ難い。これらの国だけでなく、日本などの多くの国が、北朝鮮までが中国人の入国を禁止しているのに、政府は遅まきながら湖北省に対してのみ制限的に、それも自主申告方式で入国を禁止しただけだ。
政府が大韓医師協会などの専門家たちの度重なる勧告を無視したまま、いまだに中国人の入国禁止を躊躇(ちゅうちょ)している間に、既に多くの国が、中国では一部地方政府までが、韓国人の入国禁止や隔離措置を断行している。
それなのに、韓国政府はどうだ。中国から帰国した韓国人のうち、発熱などの症状がある人たちの2週間隔離、感染者の動線把握と接触者の監視にとどまった。初期に感染者数が小康状態を見せると、軽率・安易な判断ですぐ事態が終息すると安心しきっていた。
もちろん、政府の責任にのみ帰すことはできない。個人衛生と公衆道徳の問題もあり、他人への配慮なしに病気を広めて回ったスーパースプレッダーの問題もある。しかし、この全てに先立って、政府の責任を厳しく問わざるを得ないのは、全ての事項を十分に考慮して完全な、少なくとも完全に近い対策を用意して、被害を最小限に抑えることが、政府の役割であるからだ。
朴凌厚保健福祉部長官は中国人入国禁止の必要性を一蹴し、中国人ではなく中国から入国した韓国人が問題だと語った。ならば新型コロナは、韓国に入国する中国人は除いて、韓国人だけを選んで宿主にしたというのか。
現在、国内の新型コロナはパンデミック直前である。国民は何もせず、政府が全ての責任を負うべきだというのは正しくない。しかし、逆に、政府は不十分な対応をして、国民に責任を負わせるのはもっと正しくない。いまだに中国人入国禁止は躊躇しながら、大邱は封鎖するといい、習近平中国国家主席の今年前半の訪韓に執心するのを国民が納得するだろうか。国らしい国は、国民の生命と安全を最優先する。国民がこれを不信するようになると「これが国か?」という嘆きと怒りが繰り返されるしかない。
(車珍兒(チャジナ)高麗大教授・憲法学、3月2日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
ポイント解説
「これが国か」と「国らしい国」
韓国で政権批判の時、使われるフレーズである「これが国か」には政策への呆れや失望が込められている。「国らしい国」は“まともな国に”というニュアンスだ。新型コロナウイルス対応で、文在寅政権は与党や左派を除く国民の大部分が「失敗している」と思っている。「これが国か」である。
その失敗の最たるものが、早期に「中国人入国禁止」措置を取らなかったことだ。これまでも文政権は中国に甘く、日本に厳しい態度をとってきた。同じような事例が起こっても、中国への批判は手控えながら、日本への批判は憚(はばか)らなかった。
その根底には「華夷秩序」や「事大主義」がある。韓国人には「中国には逆らえない遺伝子がある」とまで言われる。それが今回の事態でも出てしまって、中国に強く出られなかった、という解釈だ。
だが、それは一面的だ。文政権が左派政権であるという観点が抜けている。現在の文政権は学生時代に共産主義に傾倒した世代が中心となり、経済でも外交でも左派的傾向の強い政策をとっている。ソ連が崩壊した今、共産主義の盟主としての中国になびくのは当然なのだ。
とはいえ、国民に優先すべきマスクを中国に大量に送る、などは、国の窮乏をよそに朝貢していたのと似ている。1895年日清講和条約の第1条朝鮮の独立でそのくびきから解放されたはずだが、自ら勝ち取ったものでないだけに、未だに骨身に染みていないのだろう。「これが国か!」の所以である。
(岩崎 哲)