地域共同体にかける問題解決への期待
政府は住民らと共に考えよ
最近放映終了したドラマ『椿の花の咲く頃』(ネットフリックス)を興味深く見た。ドラマの舞台オンサンという仮想の町が与えるぬくもりが記憶に残る。
劇中人物がオンサンを「町中が家族のようだ」と説明する。「ご飯時、誰かの家に入れば、当然のように箸を一膳置いてくれる」所だ。
路地市場の“おばさん”たちはトンベクを頼母子講に入れてくれもせず、値段も吹っかけていじめるが、キムチ漬けの季節になれば「キムチ持っていかないか」としつこく勧める。オンサンに形成されている固い共同体はトンベクに迫る危機を力を合わせて防ぐ。
オンサンが羨(うらや)ましくなった理由は、最近のソウル城北区での老母と娘3人の死亡や仁川の一家心中などが相次いで発生しているためだ。彼らはほとんど近隣と断絶して暮らしていた。返済不能な程増えた借金、生活費不足などで極端な選択をした。城北母娘4人は1カ月後に発見された。もし彼女たちがオンサンに住んでいたらどうだったか。1日2日、顔が見えなければ何かあったかと訪ね、食事を用意し、困っていればわがことのように心配しただろう。
経済成長に全力を注いだ後、韓国はさまざまな課題に直面している。両極化、深まる世代間対立、家族解体、安全でない社会、1人世帯の増加など多様な問題が起こっている。一家心中も続き、自殺率は世界最高水準で、ウォルゴジ(借家=ウォルセチプ=暮らしの乞食=コジ)、イベクチュン(二百層=月収200万ウォン以下の人・家族)などの差別的な新造語が登場しているのが現実だ。
地域共同体がこうした問題を解決するのに一定部分、役割を果たし得るものと期待する。隣人が隣人の事情を知って、手を差し延べ、子供たちを共に世話し、差別せず、危険要素を共に除去するのだ。不可能なことではない。
先月末、訪問した釜山市海雲台区盤松2洞で、都市の中の共同体の姿を見た。盤松2洞は地域健康センターを中心に25のサークルが組織されていた。ウオーキングクラブに属しながら奉仕活動、違法投棄監視などを共に行い、おかずの分かち合い活動を通じ町内年配者の見回りをしている。
地域共同体が韓国が抱えている諸問題を治癒する万能薬ではないが、共同体があって、一度でも隣人を見て回る機会が与えられるなら、その価値は充分だ。住民自ら共同体をつくれるように政府、地方自治体が住民たちと共に考えなければならない。
『椿の花の咲く頃』の台詞を引用すれば、われわれは“お節介で回っていく民族”なので共同体を通じて、小さい関心でも切れないようにするならば大きい変化をもたらすことができる。
(イ・ジンギョン社会部次長、12月12日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
ポイント解説
日韓共通した地域崩壊の現状
まったく日本と同じ課題を韓国の地域社会も抱えている。コミュニティーの崩壊だ。高齢者の孤独死や経済的困窮による一家心中など、都市化と少子高齢化が招いた今日的課題である。地域コミュニティーの再生あるいは再活性化という対策も同じだ。
韓国は日本に比べれば地域の人間関係はもっと濃密だという印象があったが、経済発展と都市化により、その崩壊スピードは日本よりも速かった。もともと儒教による長幼の序などが厳格なことをもって「東方礼儀の国」を誇っていたが、それは家族一族内という限られたサークル内での礼儀作法であって、社会的なエチケットやマナーには関心が向いていない。道路の渋滞や地下鉄のカオスぶりはそれが現れている。
「洞内」(ドンネ)は日本で言えば町内だ。日本でも町内同士の付き合いは地方ではまだまだ残っている。同じように横丁でたむろして将棋を指す老人などの風景は残るものの、韓国の場合は住宅事情がだんだんとそれらを消していった。高層アパート群の中で横丁を再現するのが難しかったからだ。隣近所の付き合いも消え、たむろする場所もなくなっていった。
日本では地域コミュニティー協議会などの名前で、全国各地で地域の助け合いを模索しているが、成功しているとはあまり聞いていない。昔の姿を再現再生するのではなく、社会変化に対応した新しいコミュニティーのあり方を模索しなければならない。とはいえ基本は「お節介」だという点は日韓共通しており共感が湧く。
(岩崎 哲)