独統一、陰の主役ブライヒレーダー


獨協大学教授 佐藤 唯行

戦費調達で中心的役割
敗者フランスの賠償金も調達

獨協大学教授-佐藤唯行氏

獨協大学教授-佐藤唯行氏

 ドイツ統一を目指すプロイセンの首相ビスマルク。立ちはだかる大敵はオーストリア帝国。倒すには莫大(ばくだい)な戦費が必要だった。けれど彼はプロイセン議会と対立しており、戦費調達の協力が得られない。切羽詰まったビスマルクが頼みの綱としたのが、ベルリン最大の銀行家、ユダヤ人のゲルソン・ブライヒレーダーだ。

 背後にはロスチャイルド家が控えていた。ブライヒレーダーはロスチャイルド家のベルリン代理人を父の代から任されていたのだ。国際資金調達におけるロスチャイルド家の金看板は絶大なブランド力を発揮していたので、ブライヒレーダーにお鉢が回ってきたのだ。

軍備増強、兵を大量動員

 ブライヒレーダーが資金調達の切り札としたのは、プロイセン国営事業の民間への売却だった。とりわけルール地方の炭鉱売却は潤沢な資金をもたらした。プロイセン軍の軍備増強に必要な3千万ターレルの調達は、このようにしてなされたのだ。この資金でプロイセン軍は新式の後装(こうそう)式銃を兵に装備させ、旧式の前装式銃で戦うオーストリア軍を圧倒し、僅(わず)か7週間で勝利を収めたのだ。

1888年のゲルゾーン・フォン・ブライヒレーダー(Wikipediaより)

1888年のゲルゾーン・フォン・ブライヒレーダー(Wikipediaより)

 プロイセン軍勝利はモルトケを中心とする参謀本部の優れた戦略で語られることが多かったが、軍備増強を可能にしたブライヒレーダーの資金調達も功績が大きかったのだ。

 この普墺戦争(1866)の勝利でオーストリアを排除して、プロイセン主導によるドイツ統一構想は大きく前進したのだ。それでも南独にはバイエルン王を筆頭に、この構想支持をためらう諸侯がいた。彼らを買収する資金もブライヒレーダーが用立てたのだ。

 隣国ドイツに強大な統一国家が成立することを誰よりも恐れたのが仏皇帝ナポレオン3世だ。彼の干渉と統一妨害を払いのけるためにも、フランスとの対決、普仏戦争(1870~71)は避けて通れぬ道だった。

 普仏戦争は職業軍人中心のフランス軍と、大量の予備役兵を動員したプロイセン軍との対決であり、数に勝る後者の勝利に終わった。大量動員を可能にした莫大な戦費調達で中心的役割を演じたのもブライヒレーダーだった。

 彼は戦後の賠償金取り立てでも中心的役割を担った。こんな面白いエピソードも伝わっている。延々と続く賠償金交渉。仏側交渉団はビスマルクが提示した50億フランの賠償額に対して、「キリストの時代から我が国が貯金を始めたとしても、そのような金額を集めるのは無理である」と述べ、難色を示したのだ。するとビスマルクは傍らのブライヒレーダーを指さし、「だからこそ、天地創造の大昔よりカネの計算が巧みなユダヤ人をば連れて来たのだ」と言い返したそうだ。

 50億フランはフランスから取り立て可能なギリギリの限度額として、ブライヒレーダーが弾(はじ)き出した金額だったのだ。将来の和解のために、敗者に遺恨を残す過重な償金を課すべきではないという意見を退けたのも彼だった。巨額な負担を課せば、フランスは軍備増強はできず、結果的に独仏間の和平は保たれるというのが彼の持論だった。渋るフランス側交渉団を同意させたのは、償金支払いに必要な資金調達を彼と英仏ロスチャイルド家が約束・保証したからだ。

 勝者の軍資金調達のみならず、敗者が支払う賠償金調達でも中心的役割を果たしたのだ。

過重な償金で恨み買う

 自分で火を付け、自分で消す。「マッチ・ポンプ」という言葉があるが、この言葉は普仏戦争でのブライヒレーダーの役回りに当てはまる。かつてナポレオン1世が敗北した時、連合国に払った償金が7億フランだったことと比べると、50億フランがいかに過重な償金だったかが分かるだろう。

 この時のフランス側の恨みが、後に第1次大戦で負けたドイツに対する「天文学的」とも言われる法外な償金取り立てを生み出したのだ。

(さとう・ただゆき)