蒋経国評価で歴史認識対立

浅野 和生平成国際大学教授 浅野 和生

戒厳令解除30年の台湾
民主化の実上げた李登輝氏

 去る7月15日は、台湾における戒厳令解除から30周年の記念日であった。台湾では記念イベントが行われ、さまざまな論評が報じられた。

 そうした中、国民党の馬英九前総統も同日の記念座談会に参加した。馬前総統はそのころ蒋経国総統の英語通訳であり、1986年10月7日にワシントン・ポスト紙発行人のキャサリン・グラハムが蒋経国を来訪した時にも立ち会ったが、蒋総統が戒厳令の解除と新政党結成の開放について語ったため、「電気に触れた」ような衝撃を受けたと語った。87年7月の解厳より8カ月前のことである。馬英九は、蒋経国に7年間仕えていたが、蒋経国が「十大建設」を進めていたことが戒厳令解除をスムーズに実現させる背景になったと評価し、さらに大陸親族訪問の解禁、新たな新聞発行の開放など、蒋経国総統の下で次々に改革措置がとられたことに言及して、蒋経国の台湾民主化への貢献を示した(自由時報、2017年7月15日)。

 一方、総統府前の「白色テロ政治受難者記念碑」前の記念式典には、受難者の一人であり、また7月17日に亡くなった『台北歌壇』の主催者、司馬遼太郎の『台湾紀行』に「老台北」として登場する「愛日家」の蔡焜燦氏の実弟である蔡焜霖氏が登壇して、「世界記録にも及ぶ長期戒厳令が解除されたのは、独裁者の徳政や施しによるものではなく、沸き起こる人民の力と、国際政治情勢の圧力があった結果である」と語った。すなわち、蒋経国総統は、38年にわたる戒厳令の下で、台湾人民の基本的人権、思想、言論、集会の自由を奪った当事者であることを示唆し、「政権は、人々の愛情や親心や友情を最大の脅威と見なし、人々が真実や善や美を求める気持ちさえ敵視した」と述べた。

 また、往年の残党による抵抗があっても和平の国家を必ずつくり上げること、そして「今の若者たちは、当時の私たちよりも、理想があり、情熱と行動力と国際観を持っている」から、「勇気をもって未来に向かう若者たちに、私たちは安心してバトンを渡すことができる」と、「白色テロの犠牲になった先輩や友人たちに報告」したいと語った(台湾独立建国連盟日本本部委員長・王明理「戒厳令解除30周年に寄せて」《ネットマガジン「台湾の声」》より)。

 30年前に、38年間にわたった戒厳令を解除したのは蒋経国総統である。それを計画的に進めた蒋経国総統の功績として数えるか、国際情勢と国内情勢およびアメリカからの圧力によってやむを得ず解除したと解釈するか、台湾では見解が分かれている。各国の中国承認、1972年の中国の国連加盟と台湾の国連脱退という国際的孤立と、国民の自由を求める声の高まり、さらに国民党政権の頼みの綱であったアメリカからの民主化圧力があって、このタイミングでの戒厳令解除となったことも事実である。そしてアメリカ議会が、台湾に人権状況の改善を求めた背景には、在米台湾人の台湾独立派団体FAPA(Formosan Association for Public Affairs=台湾人公共事務会)による地道なロビー活動などの努力があった。

 また国際的孤立の中で、中華民国の台湾土着化への道を選択した蒋経国は、台湾人の登用を図り、李登輝を副総統に就けた。88年1月、蒋経国が急逝した時、憲法の規定に則(のっと)って李登輝が副総統から総統になった。その李登輝総統主導で、民主化のための台湾の静かな革命、「寧静革命」が始まった。このように見れば、台湾の民主化は、苦難の中で自由と正義を求め続けた台湾内外の台湾人の努力の結晶である。

 さて、アメリカ系の非政府組織であるフリーダムハウス(Freedom house)は、73年から世界各国の政治と社会生活を分析して、政治的権利と市民生活の自由度を7段階で評価し、その順位と分析結果を毎年発表している。2017年度版では、台湾は政治的権利と社会生活の自由度の両者とも最高評価の1で、総合得点が100点満点中の91点であり、韓国(82点)はもとより、アメリカ(89点)、フランス(90点)、イタリア(89点)より上位の自由な国である(ちなみに、日本は96点で最高レベルの「自由な国」である一方、中国は15点で、イラン以下である)。

 ここに1986-87年版の「世界の自由度(Freedom in the World)」がある。

 それによると、戒厳令解除直前、86年の台湾は〔政治的権利5、社会生活の自由度5〕であって、「部分的に自由な国」であった。

 遡(さかのぼ)れば、日華断交直後の73年の台湾は〔6、5〕の「不自由国」だったが、蒋経国政権となった76年に〔5、5〕の「部分的自由な国」となり、戒厳令解除の87年〔5、4〕、李登輝政権が発足した88年〔5、3〕、そして89年は〔4、3〕へと改善された。つまり、76年から88年まで政治的自由度は5のままで、87年の戒厳令解除は政治的自由度の改善として評価されるだけの結果を出していない。それが、李登輝総統が総統直接民選を実現した96年に〔2、2〕へと大幅に改善した。

 つまり、フリーダムハウスの指標から見れば、民主改革の実を上げたのは、戒厳令を解除した蒋経国というより、蒋経国が登用した台湾人の李登輝であったことになる。

(あさの・かずお)