香港の一国二制度支える台湾

浅野 和生平成国際大学教授 浅野 和生

「人民化」されぬ香港人
30年後には中国の香港化も

 20世紀日本の中国研究の泰斗、桑原壽二氏は、香港返還直前の1997年6月27日、「香港返還と日中関係」と題する論説を発表し、中華人民共和国による香港の吸収を「世界に例のない自由放任の世界と最後に残った独裁大帝国との両極端の合体」と称した(産経新聞「正論」欄)。そして香港問題は「結局、中国が香港を中国化しうるのか、返還が中国の香港化への契機になるか、ならないか」に問題は絞られる、と喝破した。

 また桑原氏は、孫文の言を借りて中国民族の性格を「自由の無際限な要求」と規定した。その自由要求の中国人にとって、香港の自由放任は「一個の理想の天地だった」。

 そしてレッセフェール政策で「自由への民族欲」を満喫してきた香港の自由人たちにとっては、香港の「中国回帰」は、中華人民共和国の規範に当てはまる「人民」にならねばならないことを意味した。桑原氏は、「何が何でも『人民』化しないと真の返還はありえない」から、人民化への圧力は「日を追ってじわり高まるであろう」とし、「香港人にとって最もいやな試練が明日に待ち構えている」と予言した。悲しいかな、この予言は的中した。

 ところで、97年に香港の、そして99年にマカオの返還を実現させた中国の、次の目標は台湾の「祖国」への統一である。香港返還式典から北京に戻った江沢民国家主席は、工人体育場での「祖国復帰祝賀大会」において、台湾に対して「民族の大義を重んじ(台湾海峡)両岸関係を発展させ、祖国統一の事業に歩みだすよう望む」と呼び掛けた。また、李鵬首相も、人民大会堂での「返還歓迎の集い」において、一国二制度は、香港とマカオで可能であるなら台湾でもできると述べ、「どんな困難があろうとも祖国統一を実現できる」と宣言した(産経新聞97年7月2日)。

 しかし台湾では、内外記者団を前にした李登輝総統が、香港と同様の方法で海峡両岸の分断状態を解決できるとすることは「身勝手過ぎる」と中国を強く批判した。この前年、96年3月に直接民選で再選された李登輝総統は、民主化が進む台湾では、絶対多数の住民が中国の主張する「国家統一モデルに賛成していない」と述べた(97年7月3日)。

 もともと植民地の香港は84年12月、香港人の意思とは無関係に、中英交渉で中国への帰属が決まったが、台湾は民主国であって、台湾の行く末は台湾2300万人の民意が決める。今日の台湾では、自分が台湾人であると考える者58・2%、中国人でもあるが台湾人であるとする者34・3%であるのに対し、自分が中国人であるという者はわずか3・4%である。また、独立あるいは現状維持派が82・3%であって、統一支持派は10・2%にすぎない(台湾の国立政治大学選挙研究センターの2016年度調査)。

 去る6月29日、香港“回収”20周年を前に初めて香港に入った習近平国家主席は、「『一国二制度』で順調で末永い成功を確かなものとする」と述べ、「中央はこれからも常に香港特別行政区の経済成長と市民生活の改善を支える」と強調した。1984年9月26日の中英合意には、その第5項に「現行の社会、経済制度は変わらない。生活方式は変わらない。人身、言論、出版、集会、結社、旅行、住居移転、通信、ストライキ、職業選択、学術研究、宗教信仰などの権利と自由を保障する」とある。この合意は、香港返還から50年、つまり2047年6月30日まで守られることになっている。

 しかし、元をただせば「一国二制度」は、1983年6月の●(=登におおざと)小平による「台湾特別行政区」構想であり、中台統一のための方策であった。その先行事例である香港で成功しなければ、平和裏の台湾統一ははるか彼方に霞(かす)んでしまうだろう。だから、中国が台湾を武力統一するのでない限り、香港の「一国二制度」は容易に圧殺されることはない。

 そして香港では、2014年9月から若者が民主化を要求した「雨傘運動」が79日間も道路を占拠したが成果を上げられず、15年には、中国批判の書物を出版した「銅鑼湾書店」の関係者が中国政府関係者に拉致される事件が起きた。それでも、習近平が香港に降り立つ前日の6月28日には、「雨傘運動」から生まれた新党「香港衆志」メンバー等30人ほどが中国批判の声を街中で上げた。そのうち20人が当局に逮捕されたが、7月1日には「民間人権陣線」主催の「普通選挙」要求のデモに1万4500人(警察発表、主催者発表は6万人)が集まり、香港人が容易には「人民化」されない矜持(きょうじ)を示した。

 香港への中国共産党からの政治的圧力は高まっているが、一方の台湾では「台湾アイデンティティー」が時とともに強まっている。それ故、かつて渡辺利夫氏(前拓大総長)が述べたように、「中台統一の難しさが香港の現状維持を保証する」(「中華世界イメージと香港返還問題」『問題と研究』1997年11月号)というロジックは、返還20年の今日でも曲がりなりに成り立っている。

 「一国二制度」に残された時間は30年、過去20年の変化を顧みれば、香港の中国化ではなく、中国の香港化の可能性がないわけではない。

(あさの・かずお)