仏教を利用する中国共産党
宗教無視できない現実
チベットの活仏制度に介入
1848年の共産党宣言以来、宗教はアヘンであるという前提の思想が世界中に広がり、宗教が政治の場から排除される傾向が続いた。日本でもインテリ層を中心にそのような思想が浸透し、特に左派系の人々は宗教がまるで戦争などの原因を作ったというような極論まで言うようになった。しかし実際は100年経っても宗教は政治に大きく関与している。
中でも歴代ローマ法王と、バチカンは大きな影響力を維持し建設的な役割を果たしてきた。冷戦構造に終止符を打った当時のソ連の崩壊や東ヨーロッパの民主化並びに独立にも大きな役割を果たしたことは周知の事実である。ヨハネ・パウロ2世とアメリカのレーガン大統領が影の主役であったことも関係筋の証言から知られている。同法王ご自身ポーランド出身で共産主義の残虐性と非合理性を身をもって体験した方であり、そのため自由と民主主義の尊さを誰よりも痛感していたという。
世界12億のカトリック教会のトップであるだけでなく、世界中のキリスト教の中でもダントツの発言力を発揮し宗教間の和解と対話にも積極的に関わって来られた。ある意味では人種、宗教、民族を超えての世界の良識としてのローマ法王の発言は大きな重みを持っていた。
評価はまちまちではあろうが、アラブの国々においても宗教は社会、政治において私たちの想像を超えた影響力を持っている。手法や目的については異なる意見があろうがジハード精神に基づいて多くの人々が自らの命を捧げている現象から見ても、宗教と政治の関わりが不分離であることを示しているように思う。
70年以上共産主義下で弾圧されてきた中国でも、再び宗教は大きな存在になってきている。中国の共産党でさえも近年仏教外交に力を入れ始めている。中国のソフトパワーとしての孔子思想の限界に直面した共産党政権は、アジア全体および世界各地に点在する仏教徒の数を22億と推定し、そのパワーを利用しようと新たな目論見を抱き始めている。その一環として中国国内においては仏教の復活に危機感を抱き、あらゆる手段を使って寺院の数や出家の年齢などに対して制限を加えつつも対外的にはさまざまな国際会議などに、党が気を許せるニセ仏教徒を派遣し、仏教会に潜伏させることに余念がない。
仏教を全く信じないはずの共産党の指導と目論見によってWFBという同類の世界仏教連盟の頭文字を真似て世界仏教大会を催している。更にそれまで迷信で邪教と決め付けてきたチベット仏教のいわゆる活仏(生き仏)制度にまで直接介入し、共産党の政府の宗教局の管理の下、利用しようとしている。仏教寺院などにおいても共産党の赤旗を掲げることを強制する一方、形式的にチベット仏教の学問上最高位のひとつであるゲシェ、ハランパの学位を授与させたと宣伝している。
中国共産党は似非パンチェンラマが象徴するように自らの政策の道具として活仏を作り上げたり、もしかしたらご自分が最後のダライ・ラマであるかも知れないというダライ・ラマ法王自身の発言に対して、中国政府はダライ・ラマ法王には自分で止める権利がない、それはチベットの伝統文化であると同時に中国政府が決めることだと言って法王を批判している。このような矛盾だらけの共産党中国でさえも、現実問題として宗教を無視できないという事実を認識している。
私が今回宗教と政治の関係について取り上げた理由の一つに日本でも戦後新憲法の下、政教分離の原則に基づいてややもすれば宗教を社会や政治から排除するような傾向があることを危惧するからである。確かに日本でも信仰の自由があり、宗教団体の数は数え切れないほど多く、それぞれが多くの信者を抱え選挙などでも宗教団体の支持によって当落が左右される現実を見る限りでは、宗教が脈々と生きている一方、公の場から排除させようとする勢力が動いているため、宗教の建設的な役割について報道、教育が極めて希薄であるように思う。
今のフランシスコ法王も積極的に宗教外交を展開し、ロシア正教との和解、アメリカとキューバとの国交回復に大きな役割を果たすことで宗教の建設的な役割と健在ぶりを示しておられる。今世界で軍事的経済的力をもって、アメリカの世界覇権に対して挑発するほどの存在になった習近平主席も世界的には残念ながらローマ法王の足元にも及ばない存在であることは、同時期に訪米した習氏に対してアメリカの民衆および世界のマスコミはローマ法王にしか関心を示さなかったことでも明白である。
我がアジアの多くの国々は、現在はともかく過去において仏教という共通の価値観と歴史を共有している。残念ながら仏教全体の法王という明確な位置づけの人物は存在しないが、仏教のリーダーの1人としてのダライ・ラマ法王は少なくとも習氏以上の影響力を持っていると言っても過言ではない。






