極僻地・レダの成功、地方普及に期待
エコツーリズムにも大きな可能性
アスンシオン国立大学教授マグノ・バレト氏に聞く
北パラグアイ・レダの魚養殖
北パラグアイのレダで日本人が、食用で人気のある魚パクーのふ化と養殖に成功したことは、パラグアイの水産業界で大きな話題となってきた。パラグアイでは、通常の養殖にはティラピアという養育が簡単な魚が使われる。パクーのふ化と養殖は非常に難しく、パラグアイ国内で成功しているのはレダを含めて3カ所だけだ。レダでパクーのふ化に成功したのは、アスンシオン国立大学農牧学部水産学科のマグノ・バレト教授によるところが大きい。教授は何度も極僻地レダに足を運び、指導を続けてきた。
――なぜレダという隔絶された土地でのふ化と養殖に携わったのですか。
私たちにとってもレダと一緒にふ化と養殖のプロジェクトを進められるのはとても大事なことなのです。一つは、パラグアイの地方の現場で技術を高めることができるということ。これまで、パクーの養殖は首都アスンシオンの近辺など交通の便が良い場所でなければできなかったからです。将来、可能であれば、レダに大学の研究員を常駐させたりすることも検討したいと考えています。
――レダのふ化と養殖実現で一番苦労したことは何ですか。
何といっても「距離」でしょう。お分かりかと思いますが、レダに辿(たど)り着くには非常に限られた手段しかありません。定期船であれば片道3日間かかりますし、飛行機も雨が降れば飛びません(アルト・パラグアイには舗装された滑走路がない)。車でも最低12時間はかかります。
それ以上に大変なのが、何か問題が起きた時に連絡手段が電話しかないことです。魚のふ化と養殖は、目で現場を見てその状況を知ることがとても大事なのですが、電話ではそれが伝わりません。
魚の養殖には、水質の管理がとても大切なのですがいつも私がレダで指導できるわけではありません。それを乗り越えてレダでふ化と養殖が成功しているのはとても素晴らしいことです。
――教授にはアスンシオン国立大学の教授室とレダの双方で会いましたが、レダにおられる時の教授は、より生き生きとしている印象を受けます。
レダの日本人の方々、もちろん先住民の職員も含めて、彼らと働くのは本当に楽しい。私の指導をとても熱心に受け入れてくれるし、どのような問題にも前もって対応してくれます。実に最高の生徒です。そんな生徒たちのところに来て一緒に働くのが楽しくないわけがないでしょう。そして、大事なことですが、この事業(ふ化と養殖)を継続しているところが素晴らしい。
それに、ここレダには目の前にパラグアイ川がある。生きた教材と実験場、その成果を目にすることができる場所が目の前にある。これほど素晴らしいことはありません。
――養殖の重要性にはどのようなものがありますか。
小さな池で多くの食料を生産できる、これが一番大きいでしょう。また、養殖そのものが仕事を生み出し、地域経済を成長させることにも注目してください。レダを例えに出せば、レダの養殖事業が成長することで、今度は近隣の村々に養殖が発展していくことになります。隔絶された場所にアスンシオンなどの都会から稚魚を持ち込むことは不可能ですからね。
アルト・パラグアイではこれまでは養殖という概念さえありませんでした。あるのは川の魚を捕るか(年々水揚げ量が減っている)、木を切って牛を放牧するかでした。
――レダが地域を変えようとしているということですか。
そうですね。魚を養殖するという概念がなかった場所に新しい文化を持ち込んだと言っていいでしょう。レダがある場所は、パラグアイ川の本流と支流が交わる場所なのですが、稚魚の放流にはこれ以上ない最高の場所なのです。
それに、レダでは大量のやしの実があります。これがパクーのえさとなり、自然が循環するシステムとなっています。
レダの人々が現地に在住して、そこで継続して養殖に携わっています。パラグアイの人々は、自分の目で見て初めて実践するので、レダがその土地に在住しながら、その成果を見せてあげていることはとても大事なのです。
――最後に、教授がレダの未来図を描かれるとすれば、どうなりますか。
ここで自然と共生したエコツーリズムを興してみたいですね。レダには、飛行場だけでなく、ちょっとしたホテル並みの宿泊施設やプールもあります。
パラグアイ川を利用したスポーツフィッシングもできるし、禁漁期間には釣り堀が可能です。お父さんが釣りを楽しんでいる間にお母さんや子供は自然の中を散策したり、乗馬やカピバラ(レダで飼っている)で楽しんだりすることもできます。掛け替えのない体験となるでしょう。
(聞き手=綾村 悟)






