パラグアイ・レダ 魚の養殖で「持続可能な開発」目指す
僻地再生のモデルケース
パラグアイに、貴重な自然を守りながら、かつ過疎地が経済的な恩恵にあずかることもできる、「持続可能な開発」を目指している日本人たちが住む地区がある。アルト・パラグアイ県東端のパラグアイ川沿い、そのほぼ中間に位置する「レダ」だ。
レダの日本人13人は、環境が厳しいため放置されてきたアルト・パラグアイの地に1999年から定住、2011年には試練の末に食用で人気のあるパクーという魚のふ化養殖事業を成功させた。
現在、レダの養殖池は20までに増え(養殖池一つで2000匹以上のパクーを育てることが可能)、首都アスンシオンから買い付けに来る業者も増えている。
また、養殖事業と併行して近隣の村々での植林活動も行っており、「レダの土地(約8万㌶)の70%は手つかずの森林、自然として残しています」(中田実氏=南北米福地開発財団パラグアイ会長)という。
さらに、「未来や環境問題への意識を作るのは教育だ」との考えから、先住民の村や近隣の町々で学校建設や修理、文房具の寄付、青年ボランティアの派遣など多くの活動を精力的に行っている。
「レダのパクーは美味(おい)しい」という評判が広がり、商品開発しているパクーの開きも、「ぜひ、うちで扱いたい」というレストランも出始めている。
「長期保存が可能になれば、滋養強壮に定評があるピラニアのソーセージ(開発済)などは隣国のブラジルや遠くは日本でも人気が出るかもしれませんね」。商品開発担当の小橋さんは、日本で数十年培ってきた海産物加工技術を背景に自信をのぞかせる。
中田氏が開拓当時の苦労の一端を話す。
「1999年にレダにやって来た時は、本当に何もない土地でした。8万㌶という途方もないジャングルと、何十年も前にうち捨てられた小さな牧場の跡地があるだけで、最初は入植者が全員川で体を洗っていたほどです」
7年前、国連フォーラムでレダについてプレゼンした。当時はまだ、養殖事業が成功していた訳でもなかったが、ビジョンや当時の活動を紹介し、フォーラム後は多くの関係者から質問攻めに遭った。
「今は実績が伴ってきているので、国連で発表すればさらに大きな反響があるはずです」と中田氏。レダのモデルを世界の僻地(へきち)へとつなぎたい意欲も見せている。
(綾村 悟)