平和条約は不法占拠清算後に

きょう39回目の「北方領土の日」

北方四島は日本固有の領土

 きょう第39回「北方領土の日」を迎えた。わが国の領土である択捉(えとろふ)、国後(くなしり)、色丹(しこたん)、歯舞(はぼまい)の北方四島は、ソ連が1945年8月9日に日ソ中立条約を破って対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾して終戦となった8月15日以降も侵略し不法占拠されてしまった。北方領土返還は、戦後73年、ソ連が崩壊して27年過ぎた現在も実現せず、ソ連外交を引き継いだロシアとの間で最大の懸案になっている。

安倍晋三首相(左)とプーチン大統領

シンガポールで会談する安倍晋三首相(左)とロシアのプーチン大統領=2018年11月14日、シンガポール(EPA時事)

 昨年11月、安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領がシンガポールで会談し、「1956年の日ソ共同宣言を基礎」に平和条約締結交渉を加速させることで合意した。同宣言は平和条約締結後の歯舞・色丹の2島引き渡しに触れている。56年当時、2島に納得しないわが国は平和条約締結を先延ばしにした。戦時の記憶も生々しく、ソ連の中立条約違反による攻撃で多くの民間人が犠牲になった上、北方領土が不法占拠されたままの「平和条約」はあり得なかったのだ。

 終戦までは樺太(サハリン)南部と占守島以南の千島列島が日本の領土だった。幕末の1855年2月7日、日本とロシアは日露通好条約を結び、国境を択捉島と得撫(うるっぷ)島の間に定めた。明治時代には樺太千島交換条約、ポーツマス講和条約を両国は結び、あくまで国際法に則(のっと)った結果の日本の領土だった。

 しかし、ソ連は中立条約を破って極東の領土を拡張し、戦後処理となるサンフランシスコ講和条約にも加わらなかった。以来、ロシアとなった今日まで日本と平和条約を締結していないため、国際法上、樺太南部と千島列島の帰属は、はっきりしていない(日本はサンフランシスコ講和条約で得撫島以北の千島列島は放棄した)。

 またポツダム宣言は、領土処理についてカイロ宣言の自国の領土を拡張しない領土不拡大の原則に従うとしている。我が国固有の領土を奪い取ったソ連~ロシアの不法は、国際社会でも無視されてはならない問題なのだ。

 このため57年、米国は北方領土を日本の領土であると認めた。また、中国も64年に当時の毛沢東主席が日本の対ソ北方領土返還要求を支持した。冷戦時代の情勢もあるが、冷戦崩壊後も米国が北方領土返還をロシアに促した。このような国際社会のバックアップもあり、ソ連崩壊で体制移行したロシアのエリツィン政権とわが国の間で1993年、北方四島の主権の帰属問題を法と正義に基づいて解決する「東京宣言」が発表された。

 その後のロシアは政情不安や経済危機が続き、エリツィン大統領時代の交渉は未完のままに、プーチン大統領に引き継がれた。プーチン政権は体制引き締めに強権手法を強め、日露の交渉は東京宣言から日ソ共同宣言を基に行うところまで後退した。しかも、昨年11月の日露首脳会談により歯舞・色丹の「2島返還論」まで浮上したが、ロシア側からラブロフ外相らが相次いで否定し、領土の主権について1月の日露首脳会談で「議題としない」と宣告された上で、安倍首相は22日にモスクワでプーチン大統領と会談している。

 安倍政権は北方領土問題の解決に向け、日露共同経済活動を推進しようとしている。16年、ロシア南部のソチで開かれた日露首脳会談で首相がプーチン氏に、「今までの停滞を打破する突破口」として「新しいアプローチ」を提案して交渉の呼び水とし、同年12月にはプーチン氏が来日し、首相の地元・山口で会談をしている。

 首相の粘り強い交渉努力は多とするところだが、不法占拠を清算して平和条約を締結するのが筋だ。もう一度「東京宣言」を基に交渉し、4島の日本の主権を確認し、領土を戻さなければならない。

 国も国民もロシアに対して北方四島の返還を求めている。領土返還を実現しうる平和条約の締結を求めたい。きょう、「北方領土返還要求全国大会」が官民一体となって開催される。