憲法改正を問う 「現実的」提案で議論深化を 細野豪志氏
民進党前代表代行 細野豪志氏
5月3日に憲法は施行70年を迎える。敗戦後に新しい日本の基礎となった憲法だが、この間、内外の環境は大きく変化し多くの不都合が生まれている。政治はこの現状にどう向き合うのか。まず、今月10日、雑誌『中央公論』5月号で「現実的な憲法改正案」を提示し、憲法論議に一石を投じた民進党の細野豪志前代表代行(衆議院議員)に聞く。(聞き手=政治部・武田滋樹)
3月の民進党大会で蓮舫代表は憲法改正への意欲を見せなかった。そのような中、あえて自身の改正案を発表した目的は何か。
現行憲法は戦後、国民に定着し、大きな役割を果たした。ただ70年たって時代に合わなくなっているところがあって、必要性、緊急性でいうと、変えなければならないところがある。
自民党の改憲草案は、当時の民主党政権に対するある種のアンチテーゼみたいな色が強過ぎて国民の合意ができるとは思えない。国民に対して提案に値する、発議できそうな中身の改正案は実はない。あえてそれを野党側から提案することで、時代に合った憲法の中身の議論が深まればと思った。
結果的に代表代行を辞任したが、事前にそういうこともあり得ると思っていたのか。
私なりに努力してきた。憲法改正案の提示は代表選挙の時に蓮舫さんを応援する前提だったし、国会の憲法審査会でも発言を続け、党内の憲法調査会でもこうした提案を繰り返してきた。役員会では野党4党の政策の議論が何回もあったので、民進党として憲法についてきちっと言うべきだと発言してきた。
ただ、これ以上は意見しても執行部の方針が変わらない状況の中で、私が持論を通すことによって執行部の中で違う考えが並立するのも良くないし、私も持論を曲げるつもりはないので、代表代行にとどまるよりも出た方が双方にとっていいだろうと判断した。
今後、一議員としてこの改正案をもって、党や国会の改憲議論にどう影響を及ぼしていくか。
大事なのは国民との対話も含め、民進党の支持者もいるわけだから、そういったところに話し掛けて機運を作ることだ。それをやっていきたい。これまで野党サイドの立憲主義的な改正案はほとんどないので、議論のしようがなかった。
興味深いのは、自民党の議員からかなり反応があった。漠然としていた改正の発議の中身が、私の問題提起によって少し具体的に、こういうものならいけるという雰囲気が国会で出てくる可能性はあると思うし、それを期待したい。
どのくらいの時間で改正が実現するとみるか。
憲法審査会でかなり自由な議論が行われていて、各党の接点はあるなという印象だ。時間を区切るつもりはないが、今年から来年にかけてかなり議論が深まっていく時期ではないかと思う。
教育、緊急事態への対応、地方自治を「実現可能な改正項目」として提示したが、その第一に教育を挙げたのはなぜか。
3点はいずれも緊急性も必要性も非常に高い。そういう意味では優劣はない。ただ個人的には、教育を一番前に持っていきたい心情だ。教育は国の礎そのものだが、どちらかというと家庭の責任と思われてきた。考え方は理解できるが、若い子供たちの環境を見ると、経済的、社会的にとても全うできない家庭がたくさんある。子供は家庭を選べないので、社会全体で見ていかないとこの国は崩れてしまう。貧困の連鎖も止まらない。チャンスが子供たちに与えられないということにすごい焦燥感がある。
緊急時の“超法規”回避を
法律で対処可能との声も少なくない。
もちろん法律でもできる。しかし法律は政権によって変わりうるし、財政的には各分野の法律に均等に配分することになる。この問題を最優先するなら、やはり憲法改正が一番近道だ。
(教育を受ける権利と義務教育を定めた)憲法26条について、GHQ(連合国軍総司令部)は当初、初等教育、つまり小学校の無償化を示してきた。しかし帝国議会は中学校も含めた義務教育の無償化を決めた。日本の財政も家庭も非常に貧しい時代に、ここにしっかり国家として資源を投入するんだと決めた。
それから70年たった今、幼稚園も保育園も行かない子供はほとんどいない。乳幼児期からの教育は社会的に必要とされているのに基本的に有料だ。高校は無償化されたが、制度的にはまだ不安定。高等教育は贅沢とされていて、生活保護家庭は大学、専門学校に行けない。そういう子供たちにチャンスを与えるべきだし、それを憲法に書く意味は非常に大きい。
教育の無償化について、日本維新の会と違い、乳幼児期から高校までだけが無償としている。
二つ考えた。私の地元は自動車とか製造業が盛んだが、工業高校などを出て18歳で社会人になって立派に働いて納税もしている若者がたくさんいる。そういう若者と大学、専門学校に行く若者をどう公平に扱っていくか。もう一つは、大学の質の問題だ。子供の数が減り、大学は全入時代に入りつつある。無償化によって大学の努力のインセンティブを失わせることがあってはならない。
経済的、社会的な状況で高等教育を受けられないことはあってはならないので、給付型奨学金を充実させたり、大学の学費は相当安くすべきだと思うが、全部無償にすることでこの問題が残るのはいいことではない。
改正案では緊急事態における「民主政治の継続性」だけを扱い、自民党案にある人権制約規定に触れていないが。
私は戦後70年における国家最大の危機の一つ(東日本大震災)を権力の中枢で経験しているので、緊急時に基本権を制限しなければならない場面が出てくるのは痛感している。
ただ、現行憲法は緊急事態について何一つ書いていないが、実はそこに一定の配慮をした条文になっている。例えば、22条の職業選択の自由や29条の財産権は緊急時に制約が必要になるケースがある。これらには実は、公共の福祉の制約が条文の中に入っている。つまり緊急事態に基本権を制限するという時、現行憲法上でできないことは基本的にない。法律で対応可能なのだ。むしろ避けるべきは、超法規的措置が出てきてしまうことだ。
日本の政府は議院内閣制だから議会に根拠を置いている。つまり議員の任期が憲法上許されていないのに、政府が存在すること自体がおかしいと言える。憲法の三大原則の一つの民主主義的な仕組みは如何なる事態においても守るべきだから、緊急時の選挙の先延ばしは避けられない議論だ。
地方自治に関する条文を大きく増やしている。
現行憲法の8章、地方自治の規定はわずか4条だ。明らかに憲法上の規律密度が低い。中央に関する条文は内閣から国会から財政も含め何十条もある。ところが地方自治はわずか4条だから、相当拡充しない限り、本当の意味での地方自治は確立できない。
「国と地方を対等な関係として捉え直すべき」だと主張しているが、国と地方の役割分担を明確にしなければ、普天間飛行場の辺野古移転のような衝突が頻発するのではないか。
ご指摘は、相当悩ましい部分だった。一つは中央政府の役割を具体的に明記するという考え方がある。ただ、異論がないのは外交・安全保障とか、通貨の発行などで、その先、例えば国土の保全、社会保障、教育になってくると、国も一定の役割を担うが、地方も当然、非常に大きな役割を担う。ここを条文上で定義するのは非常に難しい。
そこで国家の基本はしっかりやるという原則は確立しておいて、地方自治体は「住民の福祉の推進を図ることを基本とする」(改正案92条)と明記した。「当該地方自治体に関する重要事項」は住民投票できるとして、国とは分ける考え方をとった。後は各地方自治体がやりたい、挑戦してみたいことに関して国との間で争いが起こった時は、紛争処理院で扱うという建付けにした。
この質問に関しては、十分煮詰まっていないところがある。やはり国家として譲れない線があるはずで、そこをどう書くかというのは残された課題だ。
憲法9条に関し、将来的には自衛隊を憲法に位置付けることを検討すべきと書いている。今は改正合意が難しいということか。
それもあるが、安保の問題はあまり国論を二分しない方がいいと考えている。そういう意味で、2年前の安保法制の議論は国家にとっても、与野党双方にとっても非常に不幸なものだった。今、北朝鮮の問題という、目の前の非常に緊張した事態がある。そこに資源を投入した方がいいと思う。
ただ、立憲主義の観点からすると、自衛について全く書いていないが故に、自衛隊がどういう存在なのか、さらに自衛隊がどこまでできるのかについては、憲法上の根拠は非常に薄い。そのことは問題だ。だから将来的にはそこはきちっと書き入れることを検討すべきだ。