【社説】共産党閣議決定 「敵の出方」への警戒は必要
政府は「現在においても、日本共産党のいわゆる『敵の出方論』に立った暴力革命の方針に変更はないものと認識している」との答弁書を閣議決定した。
衆院選挙で共産党による1950年代の暴力革命路線が野党共闘における一つの問題点となり、共産党と共闘する立憲民主党、共闘に加わらない野党や与党との間で議論になる過程で改めて示された見解を重くみるべきである。
公安調査庁の調査対象
閣議決定された答弁書は、従来の政府の認識を岸田政権でも維持したもので変化はない。しかし、共産党は政府答弁を否定する主張を繰り返している。選挙の決起集会を兼ねた9月の第3回中央委員会総会では、志位和夫委員長が「敵の出方」という言葉は2004年に改定した党綱領から使っていないと指摘し、同中央委総会でもこの表現を使わないことを決定した。
理由について、志位氏は「共産党が、あたかも平和的方針と非平和的方針という二つの方針をもっていて、相手の出方によっては非平和的方針をとるかのような、ねじ曲げた悪宣伝に使われる」と述べている。
この志位氏の発言に、当時の加藤勝信官房長官は「政府としては日本共産党のいわゆる『敵の出方論』に立った暴力革命の方針に変更はないものと認識している」と述べた。これらのやり取りを受け、野党の「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」の浜田聡参院議員が衆院選後に質問主意書を提出し、政府は従来通りの見解を示した。
もう一つの質問、警察庁発行の「焦点」第269号の記事に関する「日本共産党が昭和20年代後半に暴力的破壊活動を行ったことは歴史的事実であり、そのことは『白鳥警部射殺事件』(昭和27年1月)、『大須騒擾事件』(昭和27年7月)の判決でも認定されている旨の記述がある。この歴史的事実に関する認識について、岸田内閣においても変わりはないか」は、野党共闘にも影を落とすものだ。
答弁書は、共産党が「破壊活動防止法第4条第1項に規定する暴力主義的破壊活動を行った疑いがあり、現在でもこの認識に変わりはない」と述べている。敗戦後の当時、共産党による数々の暴力事件が続発し、破防法制定の契機となった。それ故、答弁書は共産党が破防法に基づく公安調査庁の調査対象団体であり、警察庁が重大な関心を払っていると記している。
共産党は当時の暴力路線を、徳田球一、野坂参三らによって「党中央委員会が解体分裂」して「外国仕込みの武装闘争路線」が持ち込まれたと機関紙上で釈明している。だが、これこそまさに「平和的方針と非平和的方針という二つの方針」があった実例だろう。
今まで反省も謝罪もない
さらに、共産党は「党の正規の方針として『暴力革命の方針』をとったことは一度もない」と主張している。
しかし、徳田、野坂は党中枢の指導者であり、野坂は1992年まで党の要職にあった。明らかなのは今日に至るまで共産党には反省も謝罪もないことであり、「敵の出方」の表現を禁じた今後も警戒が必要だ。
(サムネイル画像:Wikipediaより)