中曽根氏逝去 冷戦終結に寄与し改憲に尽力


 中曽根康弘元首相が逝去した。ご冥福をお祈りいたします。中曽根氏が残した業績は「戦後政治の総決算」を掲げて行政改革を断行したことと、憲法改正に尽力したことだ。また、日米同盟を再構築・強化し、米ソ冷戦終結に寄与した。

米SDI支援で同盟強化

 「たくましい文化と福祉の国」の実現を目指して行った行政改革の中で特筆すべきは、電電公社、専売公社とともに、日本国有鉄道(国鉄)を民営化したことである。

 国鉄をJRとして分割し、民営化した。これにより、巨額な累積債務を解消するとともに、公然と社会主義革命を主張した過激派セクト組合員を抱えた約19万人の労組を壊滅状態に追い込んだ。移行後は安定した労使関係が続いている。

 憲法改正に対する熱意は高齢になっても衰えなかった。単に改憲を主張したのではなく、2005年には会長を務める世界平和研究所が「憲法改正試案」を発表。日本の国家像や北東アジアという位置、歴史を強く意識した「前文」を含めた中曽根色にじむ案文は各方面で議論を沸き起こした。

 また、政界引退後も改憲運動の先頭に立ち、衆院憲法調査会の公聴会で改憲に関する所見を発表。現職・元職国会議員による新憲法制定議員同盟の会長を務め、100歳の誕生日には、与野党が改憲に向けて真剣に取り組むよう訴えた。

 教育改革に対しても情熱を持って取り組んだ。当時、文部省に対して日教組が激しく抵抗し、学校教育現場が混乱した。それを打開するため、諮問機関として臨時教育審議会を設置。そこでの答申が受け継がれ、政府主導の学習指導要領改訂が実現した。これが日教組分裂の引き金となったのである。

 外交面でも新機軸となるイニシアチブを次々と発揮した。首相就任後の83年、歴代首相として初の韓国公式訪問を実現。全斗煥大統領との関係を深めた。レーガン米大統領とはファーストネームで呼び合う「ロン・ヤス関係」と呼ばれる信頼関係を構築。日米関係を「運命共同体」と表現し、安全保障面での日本の役割拡大を進めたのである。

 米国が強力に推進した戦略防衛構想(SDI)に対しては「西側全体の抑止力の一部としてその維持・強化に資する」などの理由から研究参加を表明。ソ連崩壊を決定的にし、西側の勝利と冷戦の終結をもたらしたSDIを支援したのだ。

 その一方で86年、米ソによる中距離核戦力(INF)削減交渉をめぐり、欧州でのソ連のSS20(中距離弾道ミサイル)全廃を優先し、アジア地域での50%削減を提案しようとしたレーガン氏に対し、中曽根氏は「半減では不十分」と不満を表明。その結果、レーガン氏が受け入れて撤回した。「ロン・ヤス」関係を日本外交の基盤とし国益を守った典型例である。

歴史観と宗教性を持て

 中曽根氏がたびたび強調したことは、政治家は歴史観と宗教性を持つべきだということだった。重厚さとカリスマ性を身に付け国民をリードしたその姿は、政治家が目指すべき指標となるだろう。