メンタルヘルス対策の処方箋
メンタルヘルスカウンセラー 根本 和雄
「苦悩」と対峙し意味問う
フランクルに学ぶ「態度価値」
昨今の社会状況は、経済至上主義に翻弄(ほんろう)され物質的な繁栄が重要視される中で、しかもメカ化社会の急速な進展に伴いテクノストレスが蔓延(まんえん)する昨今、いつしか感情が鈍麻になり、知らず知らずに心が歪(ゆが)み、次第に心が病み続けて、その現れが、いわゆる“心の風邪”と称せられる「うつ病」の大衆化現象ではなかろうか。
さらに、深刻なのが自殺者の実態である。
青少年の死因1位自殺
2017年には、その数は、2万1321人で、1日に約58人もの尊い命が失われていることは実に憂慮に堪え難い。中でもわが国では、15~34歳(いわゆるAYA世代)の死因の1位が自殺であり、国際比較でも主要先進国の死因の1位が「事故」であるのに対して、日本だけは「自殺」が1位を占めていることに危機感を抱かずにはいられない。
このような状況は、一体何に起因するのであろうか。その要因は、複合的に重なり合っていることは言うまでもないが、いずれにせよ物質的に恵まれた生活環境の中で、物は氾濫(はんらん)し、心は貧しくなり、いつしか“人生の虚(むな)しさ”に陥って「生きる意味」を喪失し、慢性的に「心の病」に苛(さいな)まれているのではないかと思われてならない。
ゲーテが語るように“人間は努力するかぎり迷うものだ”(『ファウスト』天上の序曲)というごとくに人間は常に「苦悩」(悩み・苦しみ)を持ち続け、その「苦悩」とどう対峙(たいじ)するかが極めて重要なことではないかと思う。このゲーテの言葉は、失意の瀬戸際のとき、温かく励ましてくれるのではなかろうか。
この「苦悩」を乗り越える力、すなわち「心の復元力」(レジリエンス)を養うことこそ、メンタルヘルスにとって重要であると思う。そして、その「苦悩」と対峙しつつ、その意味を問うことは同時に「生きる意味」を見詰め直すことでもあると思うのである。
今、問われる「メンタルヘルス対策」の処方箋は、置かれた状況に適応する能力と確固たる信念と賢明な判断、そして見失わない方向性を有する精神状態を培うことではないかと思うのである。
フランクル(オーストリアの精神医学者)は“人間とは、苦悩するものである”という。さらに“生命そのものが一つの意味をもったなら苦悩にも一つの意味がある”(『夜と霧』1946年)と。ここに、悩むことに積極的な意味を見いだそうとしているのである。
つまり、悩み・苦しみに直面したときに、それを避けるのではなく、その“苦しみを労(ねぎら)うこと”が大事で、その悩み・苦しみの持つ意味を深く問うことによって、恩寵(おんちょう)としての「苦悩」の摂理に気付かずにはいられないのである。それによって、意味深く苦しみ抜くことに、人間的な成長があるのではなかろうか。フランクルは、どのような状況においても、その人が、その状況にどう対処するかという態度こそ重要であり、これこそが「態度価値」であるという。
心理学者のコバサによれば、“どのようなストレスの状況下に置かれても健康状態を保つ人々が兼ね備えている性格”を「ハーディネス」(Hardiness)と呼んでいる(79年)。それは、単に頑健で我慢強いというよりも“ストレスに満ちた人生の変化に、臨機応変に対応することができる積極的なパーソナリティーを意味する”という。
「ハーディネス」を培う
フランクルの言う「態度価値」を遂行するには、ストレスに柔軟に対処する「ハーディネス」を培うことが必要ではなかろうか。
さて、これまでのことを要約すれば、「メンタルヘルス対策」の根底には、悩み・苦しみの「苦悩」と対峙し、そこに積極的な意味を問うことは取りも直さずフランクルの言う「生きる意味」を熟慮することでもあり、そのことによって、困難な状況にどう対処するかという、その人自身の「態度価値」が問われるのではないかと思う。
おわりに、次の言葉を心に留めたいと思う。
“苦悩の極みによって
如何(いか)に昂(たか)められし”
(オーストリアの詩人・R・M・リルケ)
(ねもと・かずお)